「取り出せないというのは実に厄介です。あのアレクシスも最期の最期まで煩わせながら死んだだけのことはある、とでも言いましょうか」
――――それは。
いや、まずは。捕縛しようと術を放つ。しかしリシュターは片手をあげて防いで見せた。距離を取るために後退する。
背後から、見慣れない神官の姿を捉えた。奴の味方らしい。こちらを見ているが動こうとはしない。
神官の姿が全くないのは、やはり何かしらの術のせいだろう。
まずい。このままでは……。
新たな策を練ろうとして「さてさて」とリシュターの背後にいる神官がその平凡な顔を歪ませる。笑みだった。ただの笑みではなく、残虐な喜びを示すような笑み。
何処かで…。まさか。
「人って脆いんだよ。肉体的もまあ効果的で、一番手っ取り早いんだけど――――"傷"を恐れるあの子の心を砕くのってゾクゾクするね」
顔が変わっていく。
ヤヒアだった。
壁に寄りかかり、恍惚とした表情を見せている。彼の言う"あの子"というのは、シエナか。
生きた術式の管理者。
確かにそれは奪われぬことのない護りであろう。だが、もしジャナヤの……あのような方法であったならどうなる。
狙っているのはわかっていた。
だが――――。
「今動かれると厄介なんだよねえ。ってことで」
「っ!?」
ヤヒアが嗤う。
リシュターが再び片手をこちらに向けてあげたので、咄嗟に防壁を展開させる。しかし、それは意味をなさなかった。床から伸びた手。それは闇色の、亡者の手。足や腕に絡み付き、意味不明な声を奏でる。
おぞましい声。
それを気にせず、リシュターがこちらに向かってきた。手を伸ばせば届く距離だ。腕を、足を動かそうとしても亡者がそれを阻む。
動け。動け!
抵抗する私をよそに「時は来たのです」と柔らかな声が発せられた。
「遥か昔から、不老長寿や人を越える研究などがされてきました。それはなにも頭のイカれた者たちが引き起こした悲劇ではないのですよ。ふふ、いつの時代も表沙汰になりそうになった時、他にその罪を擦り付けるなどというのはいつもされていた事でした」
私の記憶では……。
リシュター枢機卿長はリムエルで、ジャンネスらより年上なはず。リムエルは普通よりも寿命が長いはずだ。しかしヴァンパイアほどではない。
リシュターは、何を知っている?
何が目的なのだ?
ヤヒアがつまらなさそうに「先にいってるよー」と姿を消したのが見えた。先にいくとはどういうことか。
リシュターは私を拘束したまま、「そうそう」と微笑む。
「エドゥアール二世の前の方も裏で動いている組織めいたものを解体しようとしていましたが、無理だった。それを引き継いだエドゥアール二世…貴方の養父殿はかなり強引でしたが賢い判断を下し、今に至る。しかしいつだって―――――尻尾は掴めない。教皇という制度に変わってから長いですが、その中でも率先して"実験"に手を貸していた者もいるというのはおかしいでしょう。"フィストラ聖国"だというのに」
彼が言う話は、何となく想像はついていた。世の中のみなが善人ではないように、悪人でもない。みながその真ん中で揺れ動き、もがいて落ちてゆく。
己の目的、望みのために。
そんなもののために、多くを犠牲にしたのだ。無慈悲に、残虐に。
脂汗が滲んできた。
この亡者はただ足止めをしているだけではない。"能力持ち"の力を吸い取っているようだ。はっきりとはわからない。だが、意識を保て。呑まれるな。そう言い聞かせる。
変わらず青色の瞳は澄んでいた。
「お前は……なんなんだ…?」
「ふふ、いい質問です」
リシュターはあくまでも、"あの"アンゼルム・リシュター枢機卿長として微笑む。優しき賢者の顔のまま。その裏の顔など感じさせぬ顔のままで。
動けぬ私に顔を寄せた。
それは、囁きだ。
「私にもわからないのですよ――――始まりの"私"が生まれたのは、誰も覚えてないのですから。私自身も、ね」
* * *


