とある神官の話







  * * * 





 ―――どうした。


 すぐにこれは夢だとわかった。椅子に座り、本をあちこち広げながら何かを書いている父が私に気がつき、手を止めてこちらを見た。
 私は部屋で寝ていたのだが、嫌な夢を見たのだ。何だか不安になり、開いたままの扉の前で躊躇していた。それに父が気がついて、「どうした?」と部屋に招く。私は仕事の邪魔をしてしまったかと気が引けていた。

 父は神官で、それもかなり強いことを私は知っていた。私を拾って、娘にした人。実力者だからと聖都から戻るか、都市部の神官にと誘われても父は受けなかった。
 嫌な夢を見た。
 そうぽつりといった私に、そうかと頷く。そしてなら、と悪戯っぽく笑い「夜更かししようか」といった。

 おいで、と父は己の椅子を私に譲り背後にまわる。






「この文字は、ヴァンパイアの間で使われていた古いものなんだ」

「……ぐちゃぐちゃ」






 素直な感想に、父はそうだなと笑う。
 この文字は幾つか書き方があるし、地方によってやや変化を見せる。父は「今は使っている同族は少ないだろう」と話した。
 机に置かれたノートに綴られたそれは、私には全く読めない。






「ちなみにこれは、私の密かな日記みたいなものだのだが」

「密かな、日記」

「そう。ちょっと面白いことをしてやろう」






 手の平がノートの真上を滑る。すると、書かれた文字の上に淡く"文字"が現れる。それは共通語で、勿論私にも読める文字であった。不思議なそれに、私は思わず目をこする。
 不思議なそれは、父が"術"をかけたらしい。
 しかも、だ。

 そこに踊るのは―――――。


 ―――――違和感。
 体が軋み、はっとして体を起こせばそこが机だと気がつく。夢だと知っていたが、と私は乱れた髪の毛を掻き上げる。

 家を片付けたのち、家にはアゼル先輩が残っている。そしてランジットも。
 ゼノンは一旦戻ってもらった。バルニエルから戻ってすぐのことなのだから、とやや無理矢理帰したのだ。
 彼はランジットに「羨ましい」と漏らしていたのは無視した。


 既に時刻は夜である。
 部屋の電気を消し、かわりに机に向かう私の手元は灯火で明るくなっている。広げられていたのは昼間見つけた、本の断片。気になって広げていたが、たいして進んでいなかった。
 ヴァンパイアの古い文字。
 昔父も使っていたから、時折教えてもらっていたのだ。だが、私には他にも覚えることがたくさんあって、中々覚えられなかった。父さんが使う文字を覚えたいのにと思う私に、父はああやって"裏技"を見せた。ほら、これで読めるだろう?と。

 あの日記といったものには、まあ日記だったわけだが。
 あれには恥ずかしくなるくらい私のことが書いてあった。今日は鍛練に付き合った云々だとか、一緒に料理して見事に失敗とか、そういうの。確かに秘密にして欲しいなと思った。あんなの、恥ずかしくて―――――どこか嬉しかった。ちゃんと私を見ている、娘なんだと嬉しかったのだ。



 ―――――大好きだ、シエナ。



 手元に広げたボロボロのそれに、目を落とす。"術"を使わなくては満足に読めないのが残念で悔しいのだが、仕方ない。
 集中して見て読んでいくと、「なんだこれ」と思わず声を発したことが書いてある。




 <上の連中が何かしら動いているのは、恐らく間違いないだろう。奇妙な死が多すぎる>

 <……が死んだのは何故だ?>

 <私の杞憂だったらば良い。だが杞憂に終わらなかったら、何か手を打たねばならぬ>