「見過ごせないと私は言いましたが」
青色の瞳が伏せられ、と寂しげに微笑む。
「罪無き者を、被害者を、異端者を排除するのは簡単です――――遥か昔のように」
今でこそ"能力持ち"、"異能持ち"などは差別の対象にはならない。昔は、そうではなかったのは知られていることだ。
そうか、といった教皇は手元の書類を見る。そこには闇堕ちした者のことや、つい先日あったシエナ・フィンデルへの侵入者についてが書かれている。
狙われているとしれば、彼女は保護という名で特別独房ということも考えられた。それをフォンエルズ枢機卿らが動いたが――――リシュターが動いた。"外野"があれこれいう前に、やることをやらせた。
つい先程調査員が戻ってきたばかりである。
後の護衛などの件は任せ、リシュターはやや疲労を見せていた。
「無理はするなよ」
「ええ。貴方も」
では、とリシュターは部屋を後にする。待っていた側近が近寄り、共に歩いていく。
春に開かれる会議についてや、指名手配犯について。そして―――「何だかなぁ」
側近の神官が我慢していた言葉を口にする。口元には笑み。それは微笑みといった優しさを含まない、何処か冷たさを含むものだった。それに歩いているリシュターが眉を潜めることはない。
「何がです」
「僕は結構頑張ってるけど、君はどうなの」
「見ての通り」
肩をやや大袈裟にすくめ、己にあてられた部屋に入る。こなさなくてはならない仕事が積んであり、やれやれとこめかみを揉んだ。
些か馴れ馴れしい側近である神官が、指先で書類をぱらぱらと見遣る「それで?」
リシュターの表情が変わる。
「んー、一応調べてるけどさ。意味あるの?」
「あるから言っているんですよ」
「何かよからぬことがあるなら、いっそのことさぁ――――殺しちゃったほうが早いんじゃないの」
「そう簡単にいわないで下さい」
ふふふ、と笑う神官に冷たい青色が向けられる。普段の温和そうな表情が今は消えていた。恐らく"いつもの"枢機卿長を知っているものが見たら、きっと驚くだろう。だが、はたしてどちらが本当、本物なのだろうか……。
ふっと息を吐き、リシュターは窓を見遣る。まだ聖都には雪が残っているが、着実に春に近づいている気配があった。
自由に動けるまで、かつここまでくるのに時間がかかった。何はともあれ、とリシュターは「引き続き探って下さい」と告げる。
神官は片手をあげ、じゃあねと扉を開くが――――こちらに振り返った。邪悪な笑みを浮かべて。それは神官という身分の者にはかなり不釣り合いな笑みだ。
「"それ"、似合ってないし気持ち悪いよ」
扉が音をたてて閉まった。
己の机を前に、リシュターは肩を震わせる。書類には闇に堕ちた者についてや、死亡者が出た事件なども混ざっている。痛ましく残酷なものも最近は増えている。そんな残虐な事件に"あの"アンゼルム・リシュターは心を悼めていると言わる。その肩のふるえはそれか?
――――否。
彼は別のことを考えていた。
「それはお前が"知っている"からだろうに」
ふるえは小さな笑みに変わり、彼は席につく。そうしていつものように書類に目を通しはじめた。


