それは多分、単なる"昔"ではなく、"ずっと昔"と言えた。死のうとしたこともあったし、逆に殺さかけたこともあった。
無力だった。
何も出来なかった。
友が出来ても、その友のほうが先に必ず死ぬ。それは寂しいことだ。取り残されるのだから。
いつだったか、同族が「我等の死亡理由は自殺が多い」などと言っていたが、はたしてどうなのか。確かに、そうかも知れない。同族は人間より数は少なく、生殖機能も低いと言える。
古い同族はまた「失うことを躊躇うな、己に関わるものを愛せ」などと言って果てた。失うことを躊躇うな、などよくいったものだ。私は、失いたくない。本当は。愛して、愛されたい。
―――どうせ失うなら同じでしょう。
―――そうは思わない。
初めて会ったとき、彼は違っていた。何が。何だろう。身分を手に入れてから放浪者めいた自分に、彼は笑った。失うのは確かに悲しい。だが、残る者が変わりにしっかり覚えてやればいい。記憶に、記録に残してやればいい。彼は言った。覚えている限り、彼らは死者であろうとも生きていると。


