玲様は笑って、私の頭をぽんと軽く叩く。
「そんな顔するなって。僕は本当に大丈夫だ。むしろ、他にどんな反応をしていいのか判らない」
そう苦笑した。
「僕…父親に対しての感情がないんだよ。酒に溺れ、女に溺れ…。どうしようもない男だっていうことを散々聞かされてきたし、親子の会話らしい会話をした覚えがないからね。僕が小さい時には、もしかしたら…会話があったかもしれないけど。
父親がそんなだから…僕の母親が、少しずつおかしくなっていったと思ってたから、正直…父さんが何処で何をしていても、驚かないよ。薄情かもしれいけれど…当主が当主を殺したって久涅から聞いても、他人事だったんだ。
ただ1つ憂うことは…櫂のこと」
鳶色の瞳が悲嘆に暮れた。
「櫂もまた、父親と母親の愛情を得ていない。だけど…母親と共に紫堂から追放された櫂にとっては、中野で暮らしたその時間が一番の幸福だったはずなんだ。その母親が、父親以外の男と…と思ったら」
「紫堂くんって…紫堂育ちじゃなかったんだ?
何か…意外。しかも中野なんて…ご近所さん?」
芹霞さんの声に、玲様は辛そうにぎゅっと目を閉じられた。
長い睫が苦悶に微動する。
「………。
そこには…」
そして切なそうに目を開き、絞り出すような声を芹霞さんに向けた。
「そこには――
君が…居たんだよ…?」
「え…?」
「君の…家の隣に…
櫂と…そのお母さんが…。
12年前から住んでいたんだ」
玲様の声は震え、
その唇は僅かに戦慄(わなな)いていた。
櫂様の存在を隠し続けることで愛を得ようとしていた玲様にとって、事実を告げることは…芹霞さんの櫂様の想いを蘇生させてしまうことにも繋がる。
それ故の煩悶。
それ故の葛藤。
あんなに芹霞さんを愛でられていた玲様は、それでも櫂様の記憶を取り戻そうとされている。
それがどんなに辛いことか判っていても、例えその為に玲様が苦しみにのたうち回ったとしても、それでもきっと今の玲様は、誰の制止も聞かない気がする。
櫂様と共に走ろうと決め、櫂様より芹霞さんに選ばれたいと思われている玲様にとっては、もう避けては通れぬ問題で、逆に向き合わないといけない問題で。
玲様は…心を決められたのだ。
芹霞さんに選ばれる為に。
櫂様に選ばれる為に。
それを懺悔とか贖罪とかの言葉で片付けるにはあまりに陳腐に思う。
あまりに哀しい恋心。
玲様は決して…恋の勝利者とは思っていない。
――もう…卑怯なままで居たくないんだ。
むしろ勝利者になる為に、玲様自身…櫂様の影と戦う決意をされたのだろう。
正々堂々と…芹霞さんの横に立ち、櫂様と走られる為に。

