静寂。
否、私の心臓の音がどくどくうるさくて仕方が無い。
良くないことの前触れのように、耳の奥で自分の鼓動が早さを増して聞こえてくる。
"櫂を"
しかも……
"二度も"。
「神崎…思い出したのか、紫堂を!!?」
声を発したのは、遠坂由香だった。
「うっ……」
しかし芹霞さんの様子がおかしい。
頭を手で抑えるその表情は苦しそうで。
泣きながら歯を食いしばって、何かを必死に耐えるかのように。
痛みに沈むことなく、痛みの向こう側を見据えたいかのように。
「おい……」
久涅の手を芹霞さんは毅然と払う。
「思い出したい……ッ!!」
その声は悲鳴交じりだった。
それが……芹霞さんの本心なのか。
芹霞さんの心は櫂様を…思い出したくて仕方が無かったのか。
「消えて……行かないでッッッッ!!!!」
伸した手が掴むのは虚空。
私達は身動きが出来なかった。
芹霞さんの心が痛いほどよく判ったから。
――紫堂櫂を愛してる!!
私の心も痛い程軋んでいる。
なんとかしてあげたい。
だけど……。
――紫堂櫂を愛してる!!
その言葉に縛られているのは私だけではない。
玲様もだ。
そして久涅もだ。
ウゴケナイ。
「誰か……彼女の心を縛ったね…?」
そう笑ったのは周涅。
その目は、青ざめた顔で立ちすくんでいる玲様に向けて。
玲様の痛々しい様子は尋常ではなかった。
玲様は芹霞さんの記憶を戻したいのと同時に、戻したくなかったのだ。
折角、芹霞さんが玲様の恋人だと自覚始めている矢先、櫂様を思い出したら…玲様はどうなる?
「彼女の心が、思い出したがっているね。『気高き獅子』のこと。心底……惚れていたんじゃない?」
――紫堂櫂を愛している!!
こんな時、こんなタイミングで…思い出すなんて。
久涅か。
久涅に対する激昂が……玲様の暗示を打ち壊そうとしたのか。
怒りという激情と同じくらい、櫂様を愛していたというのか。
そして芹霞さんの手が心臓の位置に向いた時、玲様がはっとした顔で芹霞さんを抱く。
しかし芹霞さんは半狂乱のように抵抗して、くぐもった声を出している。それを玲様はただきつく抱きしめて抵抗を抑えた。
「思い出して……芹霞。僕の……腕の中で」
それはまるで…芹霞さんとの決別の言葉のように。
「師匠!!!?」
「君が……本当に愛した人を、思い出して?」
それは慈愛深く、同時に消え入りそうな細い声で……。
「それは――僕じゃない」

