萌子がこの事を長女の杏奈に話すと、杏奈は「ふーん。」と言ったきり黙った。

萌子は杏奈に問うた。

「50万てどう思う?」

「さあ…わかんないよ。」

杏奈は自分のベッドに横になりながら、面倒臭そうに言い、萌子から顔を逸らした。

杏奈はこのところ、具合が悪いようだった。

「調子悪いの?」

「うん…でも、明日はちゃんと仕事行く。」

杏奈は掛け布団を頭まで被った。


杏奈はデパートの婦人服売り場に勤めていた。

萌子が再婚する前、狭いアパート暮しだった頃、萌子の支えは杏奈だった。

萌子がフルタイムで働いていたので、杏奈が家事を手伝ってくれた。
よく気のつく娘だった。

萌子が食事の支度を始めると、杏奈は食卓に箸やコップを並べてくれた。

ベランダで洗濯物を干していると、
「はい。」と言って洗濯バサミを手渡してくれた。


子供たちが小さいころ、萌子は事ある毎に杏奈と和也を抱きしめた。

子どもたちを抱くと萌子は安心した。
疲れていても元気が出た。

いつしか子どもたちの身体に触れることなど、なくなってしまっていた。




朝、家族がそれぞれ出掛けたあと、仕事が休みの萌子は、掃除機をかけていた。

パートに追われている萌子には、掃除は大きな負担だった。


もともと掃除が好きではない。

けれども、髪の毛が一本床に落ちていても気になる性分だった。


杏奈は今朝も蒼白い顔をしていた。

萌子が仕事を休むようにすすめたが、杏奈はこれ以上休めない、と出勤した。


21歳の杏奈は華奢な身体付きで、脚など枝のように細かった。

骨太の萌子とは骨格からして違う。

体調の悪さとは裏腹に、綺麗な光沢のある薄ピンクのブラウスに黒いレース素材のミニスカート姿だった。

これにヒールの靴を履く。
職業柄、服装に手抜きは出来ない。

杏奈は朝食にパン一枚やっと食べて、目玉焼きやウインナーは残した。

杏奈はもともと食が細かった。

大丈夫だと本人は言うが、萌子は心配だった。

(悪い病気じゃないといいけど…)


居間、洋室と和也の部屋と掃除機をかけた。

杏奈の部屋に掃除機を運んでいる時、玄関の呼び鈴が鳴った。

萌子がインターホンのモニターを見ると若い女が写っていた。

「はい、どちら様?」

萌子の問いにその女は下を向いたまま、答えた。


「あの…赤井留美です。」




萌子は留美を家に招き入れた。

留美はトレーナーにチェックのニットスカート姿だった。

二人は食卓のテーブルを挟んで向かい合わせに座った。

「留美ちゃん、どら焼きどうぞ。」

萌子はビニールにくるまれたどら焼きを三個菓子鉢にいれ、麦茶とともに留美に差し出した。

掃除が終わったら、食べようと思っていたものだ。

「ありがとうございます。」
留美はぺこんと頭を下げた。


このあいだはよくわからなかったが、留美がかなりの美少女だということに萌子は気が付いた。

おかっぱにした艶のある黒髪に陶器のような白い肌。

それは青ざめ、寒々しいほどだった。

鼻も口も小さく愛らしく、長い睫毛と黒目がちの大きな瞳を持っていた。


人形のような子だ。こんな子が妊娠したなんて。