いつかの君と握手

三津が、イノリが大澤の家を飛び出してきたことを短く説明した。
どうやら、加賀父にはイノリがいなくなった旨の連絡は届いていなかったらしい。

もしかしたら、あのおばあさんのところで止まっていたのかもしれない。
あの耳の遠いおばあさんなら、伝言を頼むのも困難そうだ。


「そう、か。それで、この子は大澤に黙って出て来たってわけか」

「……そう、みたいです」


三津が躊躇いながら頷くと、加賀父はイノリの体をそっと引き離した。


「探してくれて、ありがとうな、祈」

「父さ……、おれ」

「すごく嬉しい。大変だっただろう? きつかっただろう?」


答える代わりに、イノリは首がもげるんじゃないかというくらいに、横に振った。


「そんなことない! 1回も泣かなかったんだぞ、おれ。もう子どもじゃないんだ!」

「そうか。そうかー。エラかったなあ」


ふ、と目尻を下げて笑う。それはまさに父親の顔だった。
しかし、その顔つきをふ、と厳しいものに変えた。


「でも、黙って来たのは、よくないことだ。大澤はきっと心配してるぞ」

「…………」

「大澤には今から連絡しておこう。明日、送るよ」

「何で!? おれ、父さんと一緒がいいよ!」


加賀父の言葉に、イノリが顔色を変える。


「どうしておおさわの家に戻らなくちゃいけないの!? おれ、父さんといっしょがいい!」

「祈……」


加賀父の顔が曇る。


「ねえ、父さん! おれ、父さんと一緒にいたいよ!」

「うるさいわぁ! なーにを玄関先で騒いじょるかぁっ」


空気をぶち破るように、しわがれた怒鳴り声がした。


「一心! わしを放っておいて何しとる! いい加減戻ってこんか!」


どすどすと足音も大きく現れたのは、真っ赤な顔をしたじいさんだった。
どうやらべろんべろんに酔っ払っているらしい。
仁王立ちしようとして、よろりと壁にもたれた。
げっふうー、とでっかいげっぷを一つ。

もしかして……、これが織部のじいさんだろうか。

あたしを救ってくれる予定の人がこんな酔っ払いなわけ?
きっと白髪の渋いおじいさまだわ、なんて密かに想像してたのに。

ああ、ガウンを纏って安楽椅子に座り、スコッチを嗜んでいるような紳士風のおじいさま像を、よれよれの作務衣を着たハゲた赤鬼が叩き壊していく……。


「あ、ああ。すみません、先生。俺の息子が来まして」

「ああん? 息子ぉ? おまえいつ産んだんだ?」


着物の合わせに手を突っ込み、ぼりぼりと胸元を掻く。

男は出産せんだろう。
じいさんの出現に涙がひいたあたしたちは、多分同じつっこみを心の中で入れたはずだ。