「そ、そうしたいのは山々ですが、あの、本当に帰れ」

「帰れる。信じろ!」

「っ! は、はい」


駅前通りに入った。
時計は7時41分。

爆発しそうなくらい、心臓が動きを早めた。
無意識に握った手に、汗がじっとりと滲む。
体はみっともないくらいに震えていた。


帰れるの?
本当に?
ああでも信じないと。帰れなくなっちゃうかもしんない。


行く手に、イノリと出逢った、大澤と別れたバス停が見えた。


「あそこです! あれ!」

「了解!」


幸い、バス停には人がいなかった。
勢いよくドアを開け、車から降りる。


「どこでイノリに会った?」

「ええと、あ、確かその木の下辺りです!」


そう、あの辺りだ。間違いない。


「正確な時間は分からないんだよね? じゃあもうそこに立っていたほうがいい。
イノリも近くにいるし、大丈夫だろう」

「はい! あ、でも、ちょっと待ってください」


荷物を加賀父に預けて、車に戻った。
身を乗り出して、後部座席で未だ眠っているあどけないイノリを見た。

ほっぺたにご飯粒をつけたままで、口の端にはヨダレが一筋。
眠りは深そうで、きっとまだ目覚めることはないだろう。

ああ、きちんと話してお別れしたかったな……。
いや、でもこれでよかったのかな。
急にいなくなる理由を聞かれたら、上手く説明できないもん。


寝顔にそっと手をのばした。
柔らかなほっぺたから、ご飯粒を取り除く。

ありがとう、イノリ。
あんたのお陰で、ふいに起きたタイムスリップを、楽しい時間旅行にできたみたい。

不安で、どうしようかと途方に暮れていたあたしを見つけてくれてありがとう。
一緒にいてくれてありがとう。
たくさんの人に出会えて、たくさんの経験をさせてもらえたよ。

小さな紳士の君にはもう会えないけど、でも。


「美弥緒ちゃん! 早く!」

「はい!」


車の外にいる加賀父に返事を返し、再びイノリの顔を見た。
おにぎりを握ったままの小さな手をとり、ぎゅ、っと握った。



「また、会おうね? やくそくだよ、イノリ」



「美弥緒ちゃん! 44分だ!」

「っ、はい!」


手を離して、車を出た。
記憶にある位置へ戻り、荷物を受け取った。