長いことこの町に住んでいたけど、こんな路地……というか、裏道というか、とにかく来たことがない通りだった。


「ねえ、こんなところに、いいお店があるの?」


「あるんですよー」


私の手を強くにぎりしめ、導いていくその背中を、拒否する理由は、もはやなかった。


むしろ、どこへ連れて行ってくれるのかな、と胸がたかまった。
隠れ家チックなイタリアンとか?なら、すごいオシャレだわ~。


「瑠璃子さん」


と、水野くんは急に立ち止まり、話しかけてきた。


「ん?なに?」


「水野正樹を、覚えていますか?」


突然出てきた懐かしい名前。忘れるわけがない。私の元カレだ。


といっても、もう20年以上前のことだが。


「覚えてるけど……。え、水野くんって、まさか」


「はい。弟です。俺、水野正樹の」


驚いて言葉が出てこない。だって、だって


「似てないよね?」


「よく言われます。仕方ないんですよ、親違うから」


「そうなんだ……」


ドキドキ、ドキドキする。なんだか、妙な緊張に襲われた。


これは嫌な予感?
それともいい予感?


ゆっくり歩き始めると、すぐにその店の看板が見えてきた。


「あ、もう、そこなんです」



「一歩」、と、筆文字の看板。


え、隠れ家イタリアン××じゃなかったー。


「ここって、ラーメン屋さん?」


「はい!あれ、嫌いですか?ラーメン」


「いえ、そんなことないけど、珍しいなと思って……」


「え、何がですか?」


私を食事に誘って、ラーメン屋に連れてきた男はあなたが初めてよ


さすがに、それは言えなかった。


「こんなところに、ラーメン屋さんがあったなんて知らなかったから。隠れ家っぽくて素敵ね」


そう言うのが精一杯だった。


「良かった~。瑠璃子さんけっこう飲むから、きっとラーメンも好きじゃないかと思ってました」


好きとは言ってないんだけどね。


「そうだね、酒飲みなら、締めはラーメンが定番だし」


「ですよね~。でもうちのラーメンは、飲んでなくてもうまいっすから、さあ、どうぞ。俺と兄貴の店なんです」


「へ?」


驚きすぎて、おかしな声が出た。
やだ、ちょっと、喉を整えて。


「あなた、ラーメン屋さんなの?」


よし、今度はちゃんとした声が出た。



「はい。日中は自分が、夜は兄が、仕切って二人で経営してます」


「意外。とても、汗だくでラーメン作っている人には見えないよね」


「アハッ。それも言われるけど、作ってますよ。汗だくで」


彼は爽快に笑った。
とても幸せそうに見えるその表情が新鮮だった。


彼は、充実しているんだな……。


好きな仕事をして、


きっと素敵な彼女がいて、


ーおっと、もしかしたら、結婚しているかもしれない。指輪はしていないけど(チェック済)


いずれにしても、幸せそうで羨ましくなった。