たいして濡れていないのに、
彼は、息を切らしている私の髪をハンカチで拭いてくれた。
「あ、……ありがとう。なんか、慌てちゃって、」
「慌てた?あなたに似合わないワードですね」
「私だって、女ですから。あなたが着いたとなると、走り出してもおかしくないでしょう?」
「おかしいですよ。走り出したのは、雨のせいでしょう?」
あらら。お見通し?
なんだか、こんな大人な会話。
久しぶりだな。
「行きましょうか」
彼は、そう言って傘を開いた。
そして、その大きな傘に、私の肩を抱き、身体を引き寄せてくれた。
ちょっと、ドキドキしてしまった。
このままずっと一緒に歩いていたいな、
なんて考えて、少しだけ遠回りをしたけど、すぐに着いてしまった。
ちょっと、私が全速力で走った
距離って、こんなもんだったのーっ?
と、心の中で叫んだ。
束の間の、素敵な時間。
このあと、修羅場が待ってるんだわ……。
「あっ、ここです。bar tears。階段なので、気をつけて」
「ホントに、滑りやすそうだね」
そして彼が前に行こうとした時に、
「私が先に、行きます」
と、一歩前へ出て、地下へと降りて行き、ドアを開けた。
すると、店員達の
「いらっしゃいませ~」
の声と共に、振り返る3人。
美久、グミ、剛の順に横並びでカウンターに座っていた彼らは、
とても穏やかな雰囲気ではなかった。
美久は、あっという顔をしたが、
もう、駆け寄って来ることはなかった。
だって、私の隣にいる人は、美久の知っている藤川翔じゃない。
顔はそっくりでも、髪形が違う。
笑い方が違う。
服装が違う。
泣きボクロがない。
やっと、わかってくれたね、みるく……。
その隣のグミは、目を真ん丸くして驚きの表情のまま固まっていた。
そして剛は、
ガタンッと大きな音をたてて、
椅子から落ちた様子。
確実に、腰を痛めたね。
バチが当たったね。
