代わりに一歩踏み出したのは、ベールの少女だ。

 その歩みに迷いは一切感じられない。

 一歩、踏み込まれる毎にスレンは、祭壇へと後退した。

 だが気を取り直したのか、三歩下がった後で立ち止まると声を張り上げた。

 努めて優しくあやすような声音へと切り替えて呼ぶ。


『おいで、フルル。今なら許してあげるから』


 だが、怒りと焦りのためなのか語尾が震えている。


『おいで。戻っておいでよ、フルル。僕の花嫁――さあ!!』


 俺に抱きついたまま、カルヴィナが首を横に振る。

 スレンから顔を背けると、俺の血で濡れた唇に唇を押し当てた。


『!?』


 唇の端が切れているせいで少々しみたが、甘美なしびれへとすり変わる。

 俺の血がうつったのだろう。見下ろすとカルヴィナの唇が赤く染まっていた。


『フルル。それが君の答えだっていうの?』


 すかさず神官長は手にしたランプを掲げ、聖典の一節を口にした。


『集え光よ。かの者の魂の在処を知らしめるために』

 ひときわ大きく炎の勢いが増し、スレンを照らし出す。

 スレン自身は微動だにしなかったが、奴の影が怯んだ。

 スレンの後ろに大きな、闇の塊。

 影よりも濃い、闇。

 凝った闇から枯れ枝のような腕をさし伸ばしている。


 それは無数にあり、闇の中で蠢いていた。

 枯れ枝のようでありながら、腕のようなその有り様に、敵わなかったはずだと妙に感心する。

 自分はこの無数の闇の触手に押さえつけられたのだ。

 それらが言葉ないままにざわめき合い、カルヴィナを引き寄せようと手招きしている。


 自分は許せても、カルヴィナを囚われるわけにはいかない。


 覚悟を決めてカルヴィナを背に庇い、立ち塞がった。

 睨み合う。だがやはり、奴の視線は虚ろなままだ。


『へぇ? 僕から花嫁を取り上げようって言うんだ?』


『スレン殿。あなた様の花嫁ならば、こちらにおります!』

『はい。今、参ります』


 挑発的な言葉に答えたのは、神官長だった。

 それに続いた少女の声にまた、スレンの動きが止まる。