『なぜ、あなたが私の……。』


 それ以上言葉が出てこなかった。

 知らばっくれようにも、真名を呼ばれた強制力のせいなのか、それは出来なかった。


 喉が乾き切っていた。

 それ以上の言葉は紡げない程に、カラカラに乾いている。

 きっと馬鹿みたいに泣きすぎたからかもしれない。

 だからこうして大事な時に、声が出ないなんて羽目になるのだ。


 スレン様がまるで見せつけるかのように、自身の唇を舐めて湿らせるのを、目の前で見ていた。


『ん? ふふ。ダメだなぁ。ちゃんと用心しなきゃ。森の中で放たれた言葉は全て風にさらわれてしまうって、大魔女から教わったはずでしょ』


 確かにそうだ。

 でも、私が自分の真名を教えたのはこの後ろの、森の彼だけ。

 遠い昔に囁いた事があっただけだ。

 ただ、その、一度だけだ――。


『ね? 僕たちと来るでしょ?』


 心は嫌だと叫び声を上げている。

 でも声にならない叫びだった。


 スレン様の両手がオークの木に当てられて、私は閉じ込められていた。

『― ― ― ―』


 耳元に唇が押し当てられてから、真の名を囁かれた。

 首を振って逃れようとしたが、今度は抱きすくめられてしまった。

 やんわりと慎重でありながらも、容赦の無い戒めだった。

 そうして逃げられないようにされてから、再び呼ばれてしまう。


『― ― ― ―』


 どうかその名で呼ばないで欲しい。

 その名で呼ぶのは、そう。


 あの方だけであって欲しい。


 レオナル様、レオナル様、レオナル様、レオナル様。


 ただそれだけを叫び続けた。


 私を夜露と名付けてくれたあの人の名を呼ぶ。


 人は追い詰められると、本当に頼りにしている人の名を呼ぶ。


 それがおばあちゃんでは無くなっていた事に驚きと、戸惑いが隠せなかった。


 先程、私があるべき場所と浮かべたのは森ではなかった。

 そんなはずはないと打ち消そうとしても、それはならなかった。

 それは。

 それは。


「カルヴィナ!」


 それは私を夜露と呼ぶあの方の隣だ――。