カルヴィナ!!

「あ、れ……? 今、誰かが、私を?」


 呼んだ?

 呼ばれたと思う。

 辺りを見渡す。


 スレン様の手に、手を重ね置く寸前に強く呼ばれた。

 強く、強く。

 それが現実なのか、夢の続きなのか区別がつきにくい。

 ぼんやりとした頭は働かず、答えを導き出すこともない。

 ただ、今まさに重ね合わされようとしていた手のひらはそのままだ。

 スレン様が、小さく舌打つのが聞こえた。


『時間を与えるっていうの? これ以上の猶予に、一体何の意味があるっていうんだろう』


 勢い良く吐き捨てられた言葉は、私にではなく誰かに向かってのようだった。

 誰に?

 面を上げたがスレン様しか見当たらない。

 急に何もかもが恐ろしくなって、一歩後ろに逃げた。

 背に当たるのは、尊敬する森の彼だった。

 ゴツゴツとしていて無骨な彼だが、しっかりと私の体を受け止めてくれている。


 それに心強さを感じたら、何だか視界が晴れ渡った気がした。


 視線を定めてスレン様を見上げると、変わらずこちらに手をさし伸ばしたままだった。

 まるで追い詰めるかのように。

 私はその手のひらと、スレン様との瞳とを代わる代わるに見た。


 深い森そのままの瞳に宿る光は鋭かった。

 たちまち、射すくめられてしまいそうになる。


 それでもどうにか首を横に振る。


『どうして? フ・ルールゥ?』


 これ以上は後ろに下がることが出来ない。

 声音はこの上なく優しかった。

 でも、潜んだ苛立ちは隠しようもない。


 スレン様の指先ひとつ取ってみても、それが滲み出ていた。


 この方は感情の波が無いのではない。

 深くにひそめる事が出来るだけなのだ。

 目的のためならば、そうする。

 私が人の持つ感情に過剰に反応してしまうと、知っていたからこその振る舞いだったのだ。


 恐怖にすくみそうになりながらも、必死で抗うために両手を後ろに回す。


『ねえ、僕らの愛し子。君だって本当は知っているはずだ。何をどうするべきか、何て』


 それでも首を横に振り続けた。

 弱々しくても、頭を振るのをやめなかった。


 スレン様の瞳がすがめられる。

 差し伸べられた手は、そのまま伸びて私の顎を捕えた。


 緑の眼にしっかりとのぞき込まれる。

 もがいたが、そらすことは許されなかった。

 どうしたわけか目蓋を閉じることさえも。


『ねぇ、うんと言ってよ。この手を取っておくれ。― ― ― ― 』


 風が強く吹き抜けて行った。

 オークの木立が大きくしなり、ざわめいた。

 それと同じように私の血もざわめく。

 それが本格的な恐怖へと入れ替わるのに、そんなに時間は必要無かった。


 なぜ?


 なぜ、私の真名をこの人が呼ぶのだろう?