『どうかお待ち下さい、森のあるじ様』
細いが良く通る声が、シュディマライ・ヤ・エルマを呼び止めた。
振り返る。
真剣な眼差しが縋っていた。
思わず、そらしてしまいそうになったが堪えた。
獣は自身の暗闇を恥じたのかもしれない。
娘の存在があまりにも眩く、光をまとって見えるから。
『我をそう呼ぶ、おまえは何者だ』
『ただの人の娘でございます』
『人の子が我に何の用だ』
『どうかお鎮まり下さいませ。子供はお返し下さい』
『ふん。ならばオマエが代わりに生け贄となれ』
そう告げてから、カールを下ろす。
迷わずカルヴィナに駆け寄り、抱きついたカールを側に控えていた女性が引き取った。
名残惜しそうに振り返るカールの手を引いて、輪の中に戻って行く。
それから、カルヴィナの手を取り進む。
村人が見守るように囲む輪の中を、ゆっくりと回りながら台詞を口にする。
なるべく、もったいぶってゆっくりと。
そこが大事だとカルヴィナが言っていた。
おそらく大魔女の教えがそうであったのだろう。
『あなた様は森のあるじ様でございます。子供らではなく、森の恵みがあなた様を満たしましょう』
巫女役の言葉が終わったのを見計らって、付き従っていた村娘が赤い実の付いた枝を差し出した。
カルヴィナが受け取ったそれは、俺へと手渡される。
そこで枝に付いた実を口に含む。
『このようなものでは我は満たされぬ』
『ではこれもどうぞ』
同じ要領で今度はクルミを渡される。同じく口にする。
『これくらいでは我は満たされぬ』
『ではこれもどうぞ』
それを繰り返す。
儀式に則ってパンのかけら、クリ、チーズ、酒を口にする。
それでも獣は満たされないと訴えを続ける。
娘はそれに根気良く付き合う。
ゆっくりと一周し終わる頃に花を渡される。
『我は満たされぬ』
『では仕方がありません。どうぞ私をお食べ下さい』
娘は儚げに微笑みながら、何でもない事のように言う。
獣は衝撃を覚えて歩みを止める。
信じられない思いで娘を見つめる。
『断る。そんな事をしたら我は永久に満たされぬ』
そう断言し、手にした花を娘の左耳へさしてやる。
それから跪き、娘を見上げる。
あらためて、眩しいものを見上げるような気持ちで。
そこで娘は獣を立ち上がるように促がす。
獣は立ち上がる。
それはもうただの四つ足では無くなった事を意味する。
それを見届けた娘は、誇らしげに告げるのだ。
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『あなた様はもうただの獣ではありませぬ』
獣は、その瞬間から真の森の神となった。
