大地主と大魔女の娘


 彼がこちらに近付いてくると、周りを囲んでいた若者たちが一人、また一人と横に身をずらした。

 私だって出来るのなら、そうしたい。

 だが、無理だ。

 大人しく椅子に腰掛けて様子を窺う。


 両手に持った杯の中身がさざなみ立つ。


 やがて彼は歩みを止めた。

 優雅に。

 それすらも森の獣が、駆け抜ける足を止めた時みたいに。


 すいとしなやかな動きで、手を差し伸べられた。

 思わず身を竦めた。


 それに躊躇ったかのように、彼の手が止まる。


 彼の手のひらは、私の頬を掠めるようになぞった。


 その流れのまま、さも当たり前のように私から杯を取り上げた。


 驚いて目を瞠るよりも早く、地主様は杯に口を付けていた。


 仮面が少し邪魔なのだろう。


 杯に口を付けてから、しばらく傾ける事もなく、逡巡されたように見えた。


 やがてゆっくりと杯を傾け、飲み干される液体が咽喉を滑り落ちてゆく様を見守る。

 それは――。


 オオカミが、水飲み場にうやうやしく口付けた様子に似ていた。

 『カルヴィナ。酒は禁止だと言っただろう?』

 怒られた。

「この娘の体は酒を受け付けない。過ぎれば意識を失うほどにな。そうなったらおまえ達、巫女役の不在で祭りに穴を空ける気か? もっとも」

 地主様が彼らに一歩踏み込む。

 そうして見渡すようにしながら付け足した。


「森の神がそれを許しはしないだろうが」


 自然と人の輪が遠ざかった。ほんの一歩分。それにも満たないほど。


 そこに安堵を覚える。

 大きな闇色の背を見つめながら、肩の力が抜ける自分がいた。


 若者たちは顔を見合わせると、散り散りに去って行った。

 その背を見送ってから、地主様は振り返る。

 そしてため息をついてから、厳かに繰り返した。


『カルヴィナ。酒は禁止だ』


『勧められてもですか?』

『なおの事、駄目だ。特にあいつらのような男共からは』

『……。』