この土地に生まれた者ならば、誰でも知っている昔語りだ。

 カルヴィナは言い伝えを語りながら、俺の役の台詞や立ち回りを説明してくれた。


 物語は生きる世界が違う者同士の哀しい、それでいて美しい結末を伝えている。


 暗闇で微かな光にすがるかのような……。

 とうの昔に置き去りにした、泣きたい出したい気持ち。

 心細さ。

 そんな想いが去来する。


 獣の目を通してみているのだと気が付く。


 そうでなければ―――。

 こんなにも世界が娘中心で見えるわけが無い。


 普段の自分ことザカリア・レオナル・ロウニアであれば、まず意識に上るのはもっとほかの事だったはずだ。

 見て回らねばならない貸し地や、その荘園の具合、援助を求める有力者とのやり取り。

 神殿の護衛団の訓練。


 そういった仕事の事が大半を占めていた。

 だが仮面をつけた今やどうだ?


 この世界の美しさにのみ集中している。

 心を傾けるべきものは、本来はそれだけなのかもしれないとすら思えてくる。

 そんな自分を否定したい。

 いつもの、忙しく立ち働く地主ぜんとしろと理性は命じてくる。



 それは何と、ちっぽけな自己かとすら想い始めていた。

 意識の変化に戸惑いながらも、素直に身を委ねてしまう。

 それが正しいと思う。


 どこかしら、たゆたうような眼差しが目の前にある。

 カルヴィナに、こんな顔をさせたのは誰かと怒りが湧く。


 ―― 何 故 、我 を 見 て 微 笑 ま な い ?


(この娘の心が俺には向いていないからだ)


 頭の中で、あがった疑問に答えてやる。

 この娘の自由を奪い、己のものにするための画策を練り始める。


 ―― こ の 娘 が 欲 し い 。

 身も心も魂までを縛り付けたい。


 どうやって誘い込み、組み敷き、思うままに貪るか。


 そんな想いに囚われ始めている。


「地主様? 今の私の説明で大丈夫でしたでしょうか?」


 にこりと笑う娘に頭を振った。


「ああ。問題ない」

 この娘の微笑を守らなければならない。

 貪り、食い尽くしたらところで獣の飢えは治まらない。

 それどころか。

 真の獣へと身を落とす事だろう。

 胸の奥、己の内部の奥深く――。

(シュディマライ・ヤ・エルマ。大人しくしろ。貴様に、カルヴィナに触れる資格は無い)


 唸り声を上げる獣に、言い聞かせた。