大地主と大魔女の娘


 
 首を横に振る。


「地主様。一角の君は人という存在を嫌っております。容易く口にしてもいけません。彼の耳に届いたら何をされるか。ですから、早く、上がりましょう?」


 思わず、古語に切り替えてしまっていたのも直す。


「あれは何だ?」


「昔、私の過(あやま)ちで、彼(か)の一角の君を怒らせてしまったのです。それから、です。彼は約束さえ破らなければ、無茶な事はいたしません」

「約束とは何だ?」

「地主様にお伝えする訳にはまいりません。彼の君との契約ですから。どうぞ、お許し下さい。彼を怒らせてはなりません」


 静寂に波うつ水音に、心許していてはならないのだ。


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 満月を背に受けた地主様の表情は、今までに見たことも無いものだった。

 思わず息を詰めて見上げる。

 無表情でありながら、こんなにも訴え掛けてこられるような眼差しは、何を言わんとしているのだろうか?


 わからない。

 わかるわけが無い。

 私はただただ、たじろぐしかない。

 痛い。

 苦しい。

 この胸に湧き上がる、疼きに説明なんてつかない。


 満月の力を借りて、力を引き出すのは男性も一緒だったろうか?

 元より自信と能力に溢れたお方だ。

 何もかもを味方につけて、いつ何時でも光を放つに違いない。


 鋭い中にも、柔らかさを見出せるようになったと思っていた。

 そんなのはただの自惚れでしかないと、言い聞かせるに限る。


 地主様は、誰に対しても平等にお優しい。

 時に厳しく感じられる事があっても、それは等しく同じように厳しいのだ。

 だからだろう。

 いくらか知り合った足の不自由な娘にも、同じように気を使いだしたのだ。

 地主様の気の良い所だと思うと同時に、容易く他人を信用するなんて、育ちが良い証拠だとも思う。


 しっかりと真正面から見詰められて、そうやって思考を飛ばした。


 それなのに、導き出された答えがそれかと泣きたくなった。


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 ひとつ、ゆっくりと瞬く。

 一体どれほどそうやって、見詰め合っていたのだろうか。

 ほんの短い間だった気もするし、果てしなく長い間だった気もする。


 もう、ひとつ瞬くと、眦(まなじり)をあたたかな雫が伝い落ちた。


 それを払うように、地主さまの親指が頬を滑る。


『カル・ヴィナ』


 夜の雫と彼が呟きをもらしたかと思えば、耳元にやわらかさを与えられていた。


 発音が違えば意味も異なる。


『カルヴィナ。俺の名づけた名を、真の名に』


 言われた言葉の意味がわからない。


 ただ何かしらの衝撃をこの胸に与えた。


 その意味を問い掛けるように見上げれば、地主様の唇が近付いて見えた――。