君がいるから



 名前を呼ぶと、最初はまるで壊れ物でも扱うような優しさで包み込んでくれていた腕に、力が込められていく。息がうまく吸えない感覚に、アディルさんの背中に手を回し、再び呼び掛けようとした時。

「アディル、行くぞ」

 アディルさんの胸に視界が遮られた方角から聞こえた声音に、体が反応する。この声は――。

「あの……アディルさん? 一体どうし――」

 私の言葉は最後まで言い終えることは、出来なかった。なぜなら、離れようとした体を更に抱き寄せられ、私の肩に顔を埋めたから。
 そうして、一度ぐっと腰元にある手に力が入ったかと思えば、途端に温もりが離れていき、鮮やかな紅の瞳と視線が交わる。

「アディル……さ、ん?」

「もう二度と――」

(――え?)

「もう……俺の前からいなくなるな」

 今までと違う声音に目を見開く――。

「もう一度――お前がいなくなったら……俺は」

 これまで、目にしたことがない。私を見る強く厳しい眼差し。瞬きや息をするのも忘れてしまうくらいに、その瞳に全てを奪われてしまう。

「副団長」

「あぁ。今、行く」

 背後から掛けられた声をきっかけに、紅の瞳の視線が私から外された。そして、私の傍らをまるで風のように通り過ぎて行く。視線を外してから、私を見ようとはせずに――。それはまるで意識的にそうしているように思えて。
 私はその姿をゆっくりと追いかけて振り返り、あの人の背を瞳に映す。

「龍の間なら、きっと被害も少ないはずだ。お前たちは、そこへ王達を連れていけ」

 背後にいた1人の騎士に言い放ち、その言葉に了解の意を示す騎士は頭を下げた。彼は確認することもなく、数メートル先にいたアッシュさんの元へと駆け出す。私とジンを残して、彼等はこの場から去って行った。けれど、あなたの背中が見えなくなるまで、ずっと、ずっと目を逸らす事が出来なくて。
 どうして、あんな言葉を残して行ったのか――あの言葉は"誰"に伝えたかった言葉なのか。胸の奥で言葉に出来ない何かが騒ぎ出す。それを抑えたくて、力いっぱいに胸元を握った。