君がいるから





 暫く、アッシュさんが去って行った扉の方を見つめていた時、この静かな空間に何とも恥ずかしい音が響いた。

 ぐきゅるるる。

「へ!? うわっ!」

 その正体は、私のお腹の虫――。一気に熱が湧き上がり、慌ててお腹を押さえた――んだけれど。

「あっははははっ」

(……遅かった)

 瞬間、これまで見ることのなかったアディルさんの声を上げて笑う姿があった。どうしてこんな時にと、恥ずかしさで顔を上げられない。今の今まで、ベットに横になっていた私は何だったのかと、更に恥ずかしさが増す。

「こほほほ」

 シェヌさんも笑い、椅子に腰掛けながら白い髭を上下に撫で、こちらを見ていた。

「その様子なら、本当に心配はいらないみたいだね。もう昼食の時間は過ぎてるけど、厨房に行って何か作ってもらおう」

「本当にすいません……」

 これ以上、腹の虫が鳴らぬように、グッと両手で押さえ込むあまり言葉の語尾は呟きに近い。

「あきな」

 俯く私の目の前に差し出されたのは、長くとても綺麗な指先だった。

「さぁ、お手を」

「…………」

 一度グッと強く瞼を閉じて、差し出された掌におずおずと自分の掌を重ねる。そして、薄く瞼を開き、ベットからゆっくりと下り、揃え置かれた靴を履く。身形とくしゃくしゃになってる髪も、空いている手で整える。いざ、足を地に着けたものの、2日間も寝ていたせいか足元がふらつく。それでも、アディルさんが支えてくれ、シェヌお爺さんの元へと歩み寄った。

「ありがとうございました。ご迷惑をおかけしました」

「なぁに、迷惑なんて思っとらんよ? 少しでも具合が悪くなったら、また来なさい」

 柔らかな微笑みと優しい声音。懐かしいって思えたのは、もう空に旅立ったお爺ちゃんに似てるからかもしれない。

「ありがとうございます」

「さぁ、早く行かないと、またそこにいる虫が鳴き始めるぞぃ」

 お腹を指され、咄嗟に隠す。シェヌさんが楽しげに声を上げ、背後から両肩に手を置かれ先へと促される。

「行こうか。シェヌ爺ありがとう。それじゃ、また」

「あきな、アディルまたなぁ」

 シェヌさんがゆっくりとした動作で手を振っている。

「ありがとうございました」

 頭を下げてから手を振り返し、アディルさんと共にこの部屋を後にした――。




「"あの絵"が見えた……あきな。お主は……」

 シェヌの言葉は静けさを取り戻したこの空間に溶けて消えた――。