「あれ、どうかしたんですか?」

 彼も歩くのをやめる。

「ねえ、ちょっと……」

 どこも見ずに行った。

「え、なんですか?」

 一歩近寄り、顔を覗き込もうとしてくれる。

「ねえ……」

 彼はかなりの長身だ。少し、背伸びしたくらいでは届かない。

 私は思い余ってネクタイを掴み、下へ引っ張った。

「えっ、何?」

 彼の不審そうな顔が聞こえたが、無視して顔の位置を下げ、思い切って首に腕を回した。

 夫はこれほど背が高くはない。

 だが、スーツの上から抱き着く感触は、よく似ている気がした。

「君のこと、信用してるから」

 それだけ言うと、すぐに唇にキスをするとみせかけて。

 唇の隣にキスをした。

 伸びかけた髭が唇にちくりと当たる。
 
 口紅は既に、さっき食べた時にとれているから何も気にしなくていい。

 周りを気にして、私はすぐに腕を離した。

「……信用してるって、どういうこと?」

 どんなつもりか、彼は先ほど私が唇をつけたところを手の甲でぬぐいながら聞いた。