そして、最後のページは不思議な絵だった。
細かな線が重なる真っ暗な絵だ。

山の絵のように見えた。

「ゴッホの星月夜のつもり。知ってる?」

チエミは首を横に振る。

「ゴッホの代表作だよ。俺の一番好きな絵。」

「ヒロユキくん、すごいね。」
チエミが言うと、

「俺の取り柄は絵だけだよ。」

ヒロユキはおどけて拳の親指を立てる仕草をした。

(すごい……)
チエミは初めて「才能」というものに触れた気がした。

「俺にとって絵を描くということは感覚の一部だ。描きたいと感じたら、描かずにはいられないんだ。」

ヒロユキは遠くを見ながら言った。
ヒロユキの天然パーマの髪が秋風に揺れる。
こんなに真面目なヒロユキは初めてだった。


「…チエミちゃん、あそこに座ってよ。描くから。」

ヒロユキが正面にあるブランコの柵を指差した。
そして、足を組み、膝の上にスケッチブックを広げる。

チエミはヒロユキに言われるまま移動し、柵に座った。

ヒロユキが右手に鉛筆を立てて持ち、目の前に突き出す。

狙いを定めるように左目を瞑ると、スケッチブックに覆いかぶさるように絵を描き始めた。

「もうちょっと下見て。」
「顔、左。」

時々顔をあげて、チエミに指示するヒロユキの目は怖いほど真剣だった。

そんな目で見られ、チエミはくすぐったような気持ちだった。

「もう、いいよ。」

ヒロユキが突然スケッチブックを閉じた。

「もう、描けたの?」
チエミは驚いた。

「まさか。続きはあとで描くよ。」

「見せて。」

チエミが頼むと、ヒロユキはスケッチブックをトートバッグに仕舞いながら言った。

「だめ。出来たら見せる。」

「つまんないの。」

チエミが言うと、ヒロユキはにっこりと微笑んだ。


「日曜日、映画でも見に行かない?」

その日の別れ際、ヒロユキは言った。

チエミとヒロユキは学校帰りのデートばかりで、休みの日は会ったことがなかった。

「行きたい!」
チエミはすぐに答えた。

「じゃあ、土曜日の夜、電話するよ。映画の時間調べておく。それで待ち合わせの時間決めよう。」

ヒロユキはそういい、二人は手を振りながら笑顔で別れた。