彼は両親というものを知らなかった。周りの者が言うには、母上は彼を生み落とした時に亡くなった、とのことだった。聡明で美しく、何より誰にでも心優しい母上は、それは深く深く、民に愛されていたとのことだった。皆、口を揃えてそう言った。そうして人々は個人個人の物語を付け足し、過去の余韻に浸るように恍惚な表情を浮かべた。あるいは、懐かしさのあまり、失った悲しみをひとしおに感じていた。
一方、父上に関しては周りが彼に教えてくれる情報は、全くといって無かった。唯一、世話係のエミルが、彼が生まれる前にすでに事故で亡くなっていた、とボソリと漏らしたことがあった。