ことこと……
落とし蓋の隙間から……
お醤油の、いい香りが漂う。
「…いい匂いだな。今日はなんだ?」
キッチンに、顔を出す父。
「……銀ダラの煮付け。」
「そっか。楽しみだ。」
決して得意とは言えない料理を始めたのは……
中学に上がった頃からだった。
それまで父は、自分の仕事と、家での家事全てを……
一手に担っていた。
幼い私が当日できたのは、
せいぜい皿洗いや洗濯物たたみ程度。
父に負担をかけまいと、自ら志願したご飯作り……。
今こそまともなご飯が作れるようになったものの、当日は…見た目も味も、どうしようもないものばかり。
それでも父は……、
文句のひとつも言わず、綺麗にそれをたいらげる。
今なお、それは変わりなく……
ただ、
「……お、旨い。」
そんなちっぽけな誉め言葉が、近頃の私には小さな喜びとなっていた。
煮魚を口に運びながら、父が呟く。
「……うまくなったもんだなあ……。」
本音がポロリ。
よほどおいしいって思ってくれた…、証拠かもしれない。
「…そういえば…、母さんの煮付けも旨かった。親子だなあ……。」
「……そうなんだ…?ね、どっちがおいしい?」
「そりゃあ、お前かな。母さんはちょっぴり濃いめの味付けだった。」
「母越えかあ…、よしっ、やった!」
胸の前で、小さくガッツポーズをした。
私が大きくなるにつれ、
父は母親のことを話してくれるようになった。
それは私が大人になってきて……
父の中では、段階を踏んで話そうと思っていたからこそなんじゃないかって……感じていた。
もともと、身体の弱かった母は……、自身が抱える病気と闘いながら、
そして………
やっとさずかった小さな命と引き換えに……
この世を去った。
それを知ったのは……
高校生になってから。
私がその事実を受け止められるタイミングを、父はずっと待っていたのだ。
それまでは……
いかに、母が私を愛していたかを、ずっとずっと教えてくれた。
私が……寂しくないように。