「いンや、知らねェ」
 傭兵の仕事などで行った国以外で知っているのはせいぜい二つか三つ。そのどれもが知らない人間などまず居ないような大国だ。
 リゼが敢えて「ご存知ですか」と確認するような国の名など残念ながらゼルは知らなかった。
「地図にも載らない幻の帝国です。本当に存在しているかどうか甚だ怪しいところではありますが、その国の皇族と名乗る人物が政財界で勢いを増しているのは確かです」
「……ンで?」
 話の流れがわからず、とりあえず続きを促してみる。
 リゼは「最初から最後まで説明しないとわからないんですか」とわざとらしい溜め息を吐いて続けた。
「それが例の書物を以前の持ち主から買い取った人物、ということです。そういえば、あのエナさん命の男は以前、ダル坊、などと呼んでいましたか」
「……」
 今のリゼの説明が必要だったのかどうかわからず、ぴたりと時間が止まったかのような沈黙が流れた。
「……だァら、そのダルなんとかっつー国のヤツと交渉すりゃいいんだろ?」
 長い話は苦手だ。多くの情報を与えられてしまうと、要点がわからなくなってしまう。
 その点エナの言葉は簡潔であることが多く、要点がはっきりしている。
 端的過ぎてわからないこともあるが、その方がまだ話しやすい。
 道理で会話の相性が悪いわけだ、とリゼとの差異を再確認しながらゼルはもう一度、先程の言葉を繰り返した。
「それが容易ではないんですよ。我がハセイゼン家は爵位を貰ってからまだ一世紀ほどですが元はハリスグラン家に連なる世界有数の貴族です。歴史も古く貢献も立派なものです。ですが、それだけです。世界への影響力も資産も今のハセイゼン家では足元にも及びません。古いだけの貴族に膝を折ったりしないでしょう」
 褒めたいのか、けなしたいのか。よくわからない言葉だなと思ったが、彼の中立でいるようでいて私情を挟みまくる話し方は、不必要な情報まで盛り込むのと同様、今に始まったことではないので、ゼルは言葉の意味を受け取ることにのみ集中することにした。
「ンなの、やってみねェと……」
 やる前から諦めるのは生き方に反する。
 そんなゼルの気持ちを見て取ったのか、リゼは嘲りではない苦笑を漏らした。