「お姉ちゃん……僕……絶対に生きて此処から出るから……! だからお姉ちゃんもどうか、無事で……!」
 背中に訴えかけると、彼女は振り返って満面の笑みを浮かべた。
「藤の花。やっぱり綺麗」
「え?」
「その目、見たかったんだ」
 満足そうに笑みを深くしたエナに少年が何かを言うより早く、彼女は回廊へと姿を消した。
 それからややあって幾多の声と足音が聞こえ、何度か鈍い物音がした。
 途中「ああ、錘邪魔っ!」というエナの声が響いたりもしたが、そんな不平不満や罵詈雑言もやがては足音と共に小さくなっていった。
 人の気配が消えた頃、息を殺して身を潜めていた少年は背筋を伸ばした。
 手の中にある指輪を見つめる。
――やっぱり、綺麗――
 そう言ったエナの瞳が脳裏に浮かぶ。
 これ以上無い程に澄んだ眼で告げられた言葉は少年の中に誓いという名の道標となって根をおろした。
「此処を出たら……絶対に強くなるんだ」
 少年は呟いて、障子の外の様子を伺った。
 いつか、彼女についていけるような男になりたい。あの真っ直ぐな目の中に堂々と映れる男になりたい。
 そのために今逃げるしかないのなら、全力で逃げおおせてみせる。
 回廊には倒れている男が一人増えていたけれど、その他、近辺に人間特有の匂いはなかった。
 少年は人の気配を探りながら、男のポケットを探りカードキーと、柄の長い鉄の鍵の束を抜き取り、自らのポケットに捻じ込んで鼻を鳴らした。
 あとは人が居ない道を選びながら外の空気が流れ込んでくる場所へと向かえば良い。
 全速力で走るなどということはやはり出来なくて、足を引きずりながら歩く羽目にはなるけれど、時間はある。まだまだある。
 この先、何年何十年という自由な時間を自身は得たはずなのだから。
 彼女の中指に填まっていた指輪は、自身の中指にはまだ大きい。
 ひとまず人差し指に填めた其れが小指にも入らなくなるだろう未来を想像しながら少年は出来る限りの速さで歩を進めた。
 桃色の光で満たされた空間と、どこか無機質に光の線が走る地下の回廊の狭間にある機械の扉。
 その前まで難なく辿り着いた少年はカードキーで扉を開けた。
 そして一歩踏み出しながら再びポケットに直そうとしたとき。
 どん、と体に衝撃が走った。
「ぅわっぷ」
 尻餅をついた反動でエナから預かった指輪が指から離れて転がった。