緋色の暗殺者 The Best BondS-4

 腹に食い込んだ自身の手が痛くて堪らなかったが、涙が滲んできたのは痛みのせいではなく、自身への至らなさのせいだ。
――お姉ちゃんの匂いに夢中になりすぎて、気付けなかった……!
 せっかく踏み出すチャンスを貰ったというのに、こんなに簡単にその機会を潰してしまった。
 昔読んだ本に、幸運の女神に後ろ髪は無いと書いてあったことがちらりと頭を掠めていった。
「F2廊下で商品の脱走を確認。至急他の商品の確認と捕獲及び、F2への人員派遣を要請する」
 野太い高圧的な声に、ざざ、という電波音の後、了解、と短く返るまた別の男の其れ。
 一人でも太刀打ちできないというのに、仲間を呼ばれては完全に為す術を失う。
 もう駄目だ、と少年はきつく目を瞑った。
 唯一の武器である牙も、うつ伏せに取り押さえられては意味が無い。
「……助けて……!」
 蚊の鳴くような声で抵抗するのが精一杯の自身に情けなさが込み上げる。
 現状を誰かのせいにして責任から逃れることをやめようとしたけれど、ぬかるみにたやすく足を取られるほど、踏み出した力は、やはり弱くて。
 逃げ癖のついた心は簡単に今までの道へと戻ろうとする。
 それを押し留める為に少年は口を開く。
 無駄な抵抗でも、やめてしまうこととでは、そこにある意味は大きく違うのだと信じて。
「嫌だ、僕は物じゃないっ! 物じゃないんだ……っ!」
「静かにしろ!」
 頭を力任せに押さえ付けられる。呼吸が出来なくて、少年は首を力一杯捻って酸素を探した。
「誰か助けて……! お姉……っ」
 あげかけた声を咄嗟に呑み込んだ。
――駄目、巻き込んじゃ駄目だ。
 呼んではいけない。頼ってはいけない。迷惑を掛けてはいけない。
 わかっているのに、今浮かぶ顔は、たった何時間か共に居ただけの彼女しかない。
 それ以外に呼ぶ誰かの名を少年は持ち合わせていなかった。
 彼女だけが唯一縋れる藁で、だからこそ巻き込みたくなくて呑みこんだ言葉。
――……っ、お姉ちゃん……!――
 身体の中で迸る思念。
 すると声に出さず叫んだ少年に応えるように、声が返る。
「動かないで」
 短く簡潔なその声が幻聴なのか現実のものなのかすぐには判別できなかった。
 圧し掛かっていた体重が短い呻き声と共に消え失せ、甘い香りがその空間を染め変えるまで。