意味がわからないと思いながら、それでも無条件に居心地の悪さを感じてしまった少年もまた、視線を下げた。牢の四隅に置かれた燈篭と天井から吊るされた其れが映し出す自身のいくつもの影の内の一つを見る。
「……」
決して明るくは無い部屋で降りた沈黙は、少年にとって殊の外重たいものだった。
けれど一度途切れた会話を繋ぐ術を少年は知らず、視線を上げることも出来ないまま彼は自身の背中が丸まっていくのを感じた。
その時。
不意に彼女の周囲を漂っていた甘い香りが濃密なものへと変化した。
――いけない!
少年は咄嗟に立ち上がり彼女との距離を取ろうとして――転がる錘に足の甲をぶつけて転倒した。
少年は転んだまま、半身だけを捻って振り返った。
突然の行動、そして派手な転倒に目を見開きながら伸ばされたエナの手。
「大丈……」
「……来ないでっ!」
その手も声も、存在も否定して少年は叫んだ。
はっきりとした拒絶にエナの目が更に大きく広げられる。
「な……! どうし……!」
甘い、甘い香り。芳しく鼻腔を擽る其れは、本能を呼び覚ます。
理性を食らい尽くす、灼熱の欲望――!
「来ないで、来ないで、来ないでぇっ!」
首を振って懸命に叫ぶ口とは真逆の腹の内が全身を侵していく。
――来イ、来イ、喰ワセロ。
鼻に纏わり付いて離れないのは彼女が放つ血の匂い、肉の匂い。
喉の奥がきゅう、となって口内いっぱいに広がった唾液。
吐き出したい、吐き出せない。呑み込みたい、呑み込めない。
この唾液の存在を認めたくない。
人間に対して湧き上がる、このどうしようもない食欲を認めたくない。
彼女は動かなかった。
歩み寄るわけでも、離れるわけでもない。
ただそこを動かずに見ているのがわかる。
手を伸ばせば細い身体に届いてしまう。
もっと離れて欲しい。もっと離れたい。
でも今動けば、この身体はきっと本能のまま食欲を満たそうとするだろう。
甘い匂いがする人だとは思っていた。
人が交差する街の広場においてさえ、気になった匂いだった。
でも、まさか、こんな。
――……こんなの、反則だ……っ!
かつて与えられてきた人間の中の誰にも、これほど鮮明な匂いを持つ者は居なかった。
「……」
決して明るくは無い部屋で降りた沈黙は、少年にとって殊の外重たいものだった。
けれど一度途切れた会話を繋ぐ術を少年は知らず、視線を上げることも出来ないまま彼は自身の背中が丸まっていくのを感じた。
その時。
不意に彼女の周囲を漂っていた甘い香りが濃密なものへと変化した。
――いけない!
少年は咄嗟に立ち上がり彼女との距離を取ろうとして――転がる錘に足の甲をぶつけて転倒した。
少年は転んだまま、半身だけを捻って振り返った。
突然の行動、そして派手な転倒に目を見開きながら伸ばされたエナの手。
「大丈……」
「……来ないでっ!」
その手も声も、存在も否定して少年は叫んだ。
はっきりとした拒絶にエナの目が更に大きく広げられる。
「な……! どうし……!」
甘い、甘い香り。芳しく鼻腔を擽る其れは、本能を呼び覚ます。
理性を食らい尽くす、灼熱の欲望――!
「来ないで、来ないで、来ないでぇっ!」
首を振って懸命に叫ぶ口とは真逆の腹の内が全身を侵していく。
――来イ、来イ、喰ワセロ。
鼻に纏わり付いて離れないのは彼女が放つ血の匂い、肉の匂い。
喉の奥がきゅう、となって口内いっぱいに広がった唾液。
吐き出したい、吐き出せない。呑み込みたい、呑み込めない。
この唾液の存在を認めたくない。
人間に対して湧き上がる、このどうしようもない食欲を認めたくない。
彼女は動かなかった。
歩み寄るわけでも、離れるわけでもない。
ただそこを動かずに見ているのがわかる。
手を伸ばせば細い身体に届いてしまう。
もっと離れて欲しい。もっと離れたい。
でも今動けば、この身体はきっと本能のまま食欲を満たそうとするだろう。
甘い匂いがする人だとは思っていた。
人が交差する街の広場においてさえ、気になった匂いだった。
でも、まさか、こんな。
――……こんなの、反則だ……っ!
かつて与えられてきた人間の中の誰にも、これほど鮮明な匂いを持つ者は居なかった。

