「どうして……? だって闇の王。あんたはジストの……」
 案じるような声も心の琴線に触れる名前も脳から追い出す。
 けれど、目はその動く唇を知らず凝視していたのだ。意外に綺麗な形をしている娘の唇が囁くように言葉を落とす。
――兄弟なのに。
 娘の口から紡がれた言葉に完全に気をとられた。
 やはり知っていたのかと、息を飲む。
 だから男は見落としたのだ。
 音も無く近付くその存在を。
 気付いたのは、視界に入った第三者の腕が扉の隙間から伸びてきたとき。
 それと同時に開かれた扉へと視線を上げて、男は自身の失敗を悟った。
 飛び込んできた色彩は紛うことなき真実の紅。
 一目見て理解した。これが探し求めた亡霊なのだと。
 亡霊の腕が無遠慮に娘の身体を絡めとる。
 また欲したものが奪われていく様に血の気が引いた。
 奪われるくらいなら殺してしまえ。
 頭ではそう思うというのに、男は新たに出現したその存在が持つ、空気をも染め替える絶対的な深紅に圧倒される。
 白い布に血が滲むように胸を絶望が埋めていく。
 一口に深紅と表現するその色彩にも種類があるのだと知った。
 烏の羽の色よりも濃く、柘榴石よりまだ深く、けれど黄金が与える印象よりも艶やかで厳かで比類無い一対の至宝の玉。
 喉を上下させる。
 誇りだった自身の深紅すら途端に安っぽい赤に思えた。
 そしてまた、男は呪いに捕われるのだ。