ただでさえ何人(ナンピト)たりとも未来を保証できないというのに、その相手が寄生虫のようなこの男となれば尚更だ。
隙を見せた途端にでも主導権を奪い、宿主に成り代わるようなこの男に食い殺された宿主は一人や二人ではない。
甘い蜜がなくなれば用無しとばかりに共生関係を一方的に破棄して乗っ取る。それが今の彼の地位を作っているのだ。
そんな男の生態を知るからこそ侮るわけにはいかない。まあ、そんな男だからこそ役に立つのも事実なのだけれど。
ともかくセスにとっての【甘い蜜】の対象の矛先がいつ変わるとも限らない。契約が契約として成り立っているうちに終わらせるのが肝要だ。
娘から意識は逸らさぬまま、男は空いている方の手で懐から一冊の本を取り出した。
今回セスが欲しがっていたものだ。
「ああ、それもそうだ」
セスは頷きその本を手に取ると、ソファーの脇に置いていたジュラルミンケースへと向かう。その中から一冊の本と木の小箱を取り出し、空いた場所に渡した本を仕舞った。
「これが今回の戦利品、誓約の書だ。それから預かっていた担保だな」
まず誓約の書を受け取る。
それは今しがたセスに手渡した本と同じ装丁だった。
鞣(ナメ)した皮で包まれたしっかりとした本のケースには中央に大きな半球の宝石が施され、その周りには金糸の刺繍がある。
裏面にも表と同じ金糸で文字と思しい羅列が並ぶ。
もう一方の本との違いは宝石の色だけだ。渡されたのは緑柱石――平和と調和を象徴する色。
間違いなく、本物だ。
「確かに。……取引は完了だな。世話になった」
懐に収め、小箱を受け取る。
「いやなに、こちらも想定外の面白い取引が出来た。……確かにこれは【鍵】だった。私にとっても、な。この巡り合わせに感謝するとしよう」
口上だけで心の篭らない挨拶のつもりだったのだが、セスは意外にもそう言って握手を求めてきた。かといって、それが真心から出た行動でないことは明白だ。誰かに感謝するような、そんな男ではない。
「生憎、手は塞がっている」
セスは一度肩を竦めたが、さして気にした風もなく、上機嫌なまま鞄を持ちあげた。
「お前もつれない男だな。まあいい。案内を楽しみにしている。それではな」
「……」
セスが部屋を出たのを確認し、男は一旦娘から刀を引いた。
名目上のこととはいえ護衛対象を失った今、娘を縫い付けておく必要も無い。逃げる素振りを見せた段階で行動に移ったとしても捕うことは充分に可能だ。
男はセスに預けていた小箱を開けた。中身の無事を確認しておかなければ、あの男は機さえ熟せば中身をすり替えるくらいのことはやってのける。
「……それ……!」
小箱の中に真っ白な絹に包まれた緑水晶が収まっているのを見て、娘が目の色を変えた。
「珍しいだろう?」
吸い込まれそうなほど深く鮮やかで、溜め息が漏れそうなほど優美にして繊細な緑水晶だ。しかもその形は美しく磨かれた球体でも原石そのままでもない。
北方の田舎町で手に入れたそれは、丁度手の平に合う程度の寸法で鳩笛(オカリナ)という楽器の形をしている。
だが娘の反応は美しさや珍しさに魅せられたものとは大きく違った。
「召喚笛……なんであんたが……!」
娘は緑水晶の鳩笛を正しい名称で呼んだ。
そのことに少々驚く。
「ほう、これを知っているのか」
不思議と音が出ない其れは、鑑賞用の鳩笛と認識されて久しい。
よくある荒唐無稽な言い伝えから【願いの笛】だとか、その石のきらめく美しさから【龍の鱗】と呼ばれるのが一般的だ。
隙を見せた途端にでも主導権を奪い、宿主に成り代わるようなこの男に食い殺された宿主は一人や二人ではない。
甘い蜜がなくなれば用無しとばかりに共生関係を一方的に破棄して乗っ取る。それが今の彼の地位を作っているのだ。
そんな男の生態を知るからこそ侮るわけにはいかない。まあ、そんな男だからこそ役に立つのも事実なのだけれど。
ともかくセスにとっての【甘い蜜】の対象の矛先がいつ変わるとも限らない。契約が契約として成り立っているうちに終わらせるのが肝要だ。
娘から意識は逸らさぬまま、男は空いている方の手で懐から一冊の本を取り出した。
今回セスが欲しがっていたものだ。
「ああ、それもそうだ」
セスは頷きその本を手に取ると、ソファーの脇に置いていたジュラルミンケースへと向かう。その中から一冊の本と木の小箱を取り出し、空いた場所に渡した本を仕舞った。
「これが今回の戦利品、誓約の書だ。それから預かっていた担保だな」
まず誓約の書を受け取る。
それは今しがたセスに手渡した本と同じ装丁だった。
鞣(ナメ)した皮で包まれたしっかりとした本のケースには中央に大きな半球の宝石が施され、その周りには金糸の刺繍がある。
裏面にも表と同じ金糸で文字と思しい羅列が並ぶ。
もう一方の本との違いは宝石の色だけだ。渡されたのは緑柱石――平和と調和を象徴する色。
間違いなく、本物だ。
「確かに。……取引は完了だな。世話になった」
懐に収め、小箱を受け取る。
「いやなに、こちらも想定外の面白い取引が出来た。……確かにこれは【鍵】だった。私にとっても、な。この巡り合わせに感謝するとしよう」
口上だけで心の篭らない挨拶のつもりだったのだが、セスは意外にもそう言って握手を求めてきた。かといって、それが真心から出た行動でないことは明白だ。誰かに感謝するような、そんな男ではない。
「生憎、手は塞がっている」
セスは一度肩を竦めたが、さして気にした風もなく、上機嫌なまま鞄を持ちあげた。
「お前もつれない男だな。まあいい。案内を楽しみにしている。それではな」
「……」
セスが部屋を出たのを確認し、男は一旦娘から刀を引いた。
名目上のこととはいえ護衛対象を失った今、娘を縫い付けておく必要も無い。逃げる素振りを見せた段階で行動に移ったとしても捕うことは充分に可能だ。
男はセスに預けていた小箱を開けた。中身の無事を確認しておかなければ、あの男は機さえ熟せば中身をすり替えるくらいのことはやってのける。
「……それ……!」
小箱の中に真っ白な絹に包まれた緑水晶が収まっているのを見て、娘が目の色を変えた。
「珍しいだろう?」
吸い込まれそうなほど深く鮮やかで、溜め息が漏れそうなほど優美にして繊細な緑水晶だ。しかもその形は美しく磨かれた球体でも原石そのままでもない。
北方の田舎町で手に入れたそれは、丁度手の平に合う程度の寸法で鳩笛(オカリナ)という楽器の形をしている。
だが娘の反応は美しさや珍しさに魅せられたものとは大きく違った。
「召喚笛……なんであんたが……!」
娘は緑水晶の鳩笛を正しい名称で呼んだ。
そのことに少々驚く。
「ほう、これを知っているのか」
不思議と音が出ない其れは、鑑賞用の鳩笛と認識されて久しい。
よくある荒唐無稽な言い伝えから【願いの笛】だとか、その石のきらめく美しさから【龍の鱗】と呼ばれるのが一般的だ。

