緋色の暗殺者 The Best BondS-4

 部屋の壁に取り付けられた認証画面をセスが覗きこむと、ややあって床の一部が開き始める。
「……なんだ、早くしてくれ」
 床は開いたものの、次の動作に移ろうとしないセスに男が痺れを切らして先を促すと、彼は「まあ急ぐな」と一呼吸置いた。
「その前に確認しておきたい。あの娘を落札する条件――あれに嘘はあるまいな」
 にやり、と笑うセスのしたり顔に胃のあたりが引き攣る。
 ただでさえ具体的な理由も無く広がる焦燥感が無性に不快なのだ。その焦りを徒に増長しようするセスに軽い殺意を抱いたとしても責められる筋合いは無いと思う。
 舌打ちと共に憮然とした表情で返す。
「国を成した暁にはあんたを宰相に、だろう?」
 人間一人買う為に、男はそんな約束を取り交わしていた。
 それはまさしく、国を売る行為だ。
 宰相といえば、実質国政を執る役職。そんな権力を与えれば、セスはたちまち内側から国を支配するだろう。
 そう出来るだけの手腕を彼は持っている。
 けれど背に腹はかえられぬというのが男が下した結論だ。
 絶対に失いたくないものを前に、手段など選んでいられない。
「重要なのはもう一方の条件だ。今はまだ無い国との約定などよりも、な」
「……ああ、おれの故郷の案内か。全く、欲があるのかないのかわからねぇな」
 今はまだ無い、と強調したセスに自尊心が頭を擡(モタ)げ抗議するが、それを表に出す程愚かでは無い。余裕の表情を保ち、呆れてみせる。
 自尊心に関わる感情を発露すると足元を見られるということを男は充分過ぎる程に知っていた。
「我が国ダルシェウルにも勝る未踏の地。その土を踏むことは、どれ程の金銀財宝よりも価値がある」
「何を企んでいるんだか……。まあいい。約束は果たす。今は口約束しかできないが……あんたのことだ、録音くらいしてるだろうから、構わねぇよな」
 セスはこれについて肯定も否定もせず、ただ一度くつりと喉を鳴らした。それが何よりの答えだ。セスは会話の一部始終を録っている。
「それはそうと相棒」
 誰が相棒だ、と毒吐こうとして飲み込む。
 真意の読めない笑みを浮かべるセスの視線が自身を通り抜け、背後へと向けられていることに気付いたからだ。
「……どうやら商品を上げる必要はなさそうだぞ」
 何を言っているんだと問う為に口を開けて――閉じた。
「……?」
 まさか、という思いでセスの視線を追い掛け、男はその先にある光景に目を見開いた。
 開いた床から華奢な手が二本、にょきりと生えている。
「よっこいせ、と」
 何故か自由になっているその手で絨毯を掴み、悠長な掛け声と共にずるりと這い出てきた娘は立ち上がり埃を落とすように服を叩いた。
 その服は先程までの民族衣装ではなく、控えの牢で見た時と同じ軽装だった。民族衣装の中に着込んでいたらしい。露(アラワ)になったその足元にも枷は無い。
 唖然とする男を前に、娘は仁王立ちで腕を組んで口を開いた。
「遅い。飛び掛かる準備、してたのに」
 うっかり自力で這い出ちゃったじゃん、と少女は真っ赤な紅をひいた唇をへの字に曲げた。
 それはまるで友人に対して不満を主張するような気安さを持った声だった。
 怯える気配も無ければ、敵意もない。
 この状況下でごく普通に振る舞えるのは、それなりの場数を踏んできている証だ。
 流石は賞金首といったところか。
 だが、所詮それだけだ。
「丸腰で、準備とは」
 セスが可笑しさ耐え兼ねるといったふうに喉を鳴らすと娘は目に見えてむっとした。