緋色の暗殺者 The Best BondS-4


 人生を左右する程の大きな買い物だったが、それでも男は満足していた。
 色素の異なる瞳を持つ少女という存在は、実に三年ぶりに得た手がかりだったからだ。
 少女は自身を見た時に一つの名前を口にした。
 それを少女自身が撤回したのは目が合ってからだった。
 男は、彼女が自分を深紅の髪を持つ誰かと間違えたのだと気付いた。
 それが長年探していた存在だとすぐさま確信できたのは、世界広しといえど深紅の色彩をその身に宿す者がごく少数に限られている為だ。
 深紅という色彩は如何に昏くこごろうとも、一度その色を目にした者が黒と見間違えることはない。
 畏怖と共にその脳に刻まれるほど、それは圧倒的にして鮮烈な色彩なのだ。
 それを、少女は何の気負いもなく、むしろ反射的といえる速さで名を呼んだ。花が綻ぶような、そんな笑顔さえ浮かべて。
 少女は亡霊を知っているだけでなく、親しい立場にある者なのだ。
 男は歓喜した。だが同時に苛立ちも増した。
 形を持たぬくせに世界を跳梁跋扈する亡霊は、自身の預かり知らぬところでのうのうと居場所を築き上げていたということなのだから。
「もう教えてくれてもいいだろう? あの娘は一体何だ。どんな価値がある」
 悠然とソファーに身を沈めた格好で問うダルシェウルの皇族にして一大企業の独裁社長であるセシュイン=バース=カロライナ=ティグル=ウン=ダルシェウル=リーザス――通称セス。その肌の白さ、儚い綺麗な顔立ちと華奢な体つきから、彼が三十路を過ぎていると知る人は案外少ない。
 だが、その眼光は二十代ではなかなか持ち得ない鋭さと猜疑心に満ちている。
「さあ?」
 外套を脱いでクロークスタンドにかけながら、こっちが聞きたいくらいだ、と付け足す。
 娘自身のことは何一つ知らないし、知る必要も無い。
「だが、重要な鍵であり、餌。形無き災厄を今度こそ、葬るための」
 部屋の中央にあるテーブルに置いていた飲みさしのワインを手に取り、それを掲げて覗き込みながら円を描く。
 紅の酒がグラスの中でくるくると躍る。
「ほう?」
 顎に手を当てて興味を示したセスに隻眼の男は視線を遣り、一つ釘を刺す。
「余計な気は起こさん方が身のためだ。まだ死にたくねえならな」
 ワインの香りを楽しむ最中、敢えて不穏な空気を纏って告げた。
 あくまでも意図的に作った空気だが、あながち脅しとも言えない。亡霊と相俟えたことはないが、その軌跡を辿ってくる中で聞いた噂や情報が物語るのは、亡霊の圧倒的且徹底的な、もしくは芸術的とさえ呼べる残虐さだった。
「レジタリアのようにはなりたくねえだろう?」
 ワインを一口嚥下して告げる。
 レジタリアというのは世界各地に拠点を持つギルド組織――人材派遣会社のようなもの――の派閥の一つだ。否、一つだった。五年前までは。
 裏組織との癒着が強かったレジタリアは当時、ほとんど賊と化していたが、その強さからギルドの中枢も手出し出来ない状態だった。それを一晩にして壊滅させたのが、例の亡霊だという噂がある。
 何処までが真実かはわからないが、火の無いところに煙は立たないという言葉があるように、用心するに越したことはないだろう。
「成る程。【レジタリアの落日】の……。それは穏やかではないな」
「そういうことだ。とりあえず娘には聞きたいことがいくつかある。上げてくれ」
 地下の商品ブースを上へと作動させるためには、あらかじめ登録した落札者の網膜認証が必要だ。
 セスは肩を竦め、勿論、と答えて席を立った。