緋色の暗殺者 The Best BondS-4

 多くのことを同時に考えることが不得手であるゼルは、その分切り替えが早い。自身の優先するべき事柄を心が瞬間的に判断するのだ。それは、戦う者の多くがごく自然に持つ重要な資質だ。
 利益というわかりやすい判断基準を放棄しただけで、自身の優先順位に迷いが生じるリゼは、例に漏れずその資質を持つゼルを羨ましく思う。
「……つまり、私が他の貴族から糾弾されないためにも、その後の矛先が貴方に向かないためにも、貴方とエナさんがこの屋敷から姿を消す必要があります」
 犯罪者と共謀していたわけではない証明としては、ダルシェウルにエナを譲った時点でなんとでもなる。
 国際指名手配犯であるエナの仲間であるゼルの情報は調べあげられるであろうが、エナがゼルと消えることで人工龍石の利権の契約が消えるのならば貴族たちは何を知ったとしても口を噤むだろう。
「アンタ……手の平を返したンじゃねェんだな……?」
「まだ言いますか。本当に鈍い脳みそですね。まあ好きなように解釈しなさい。やることさえやってくれれば私はそれで構いません」
――痛いことを聞く。
 そんな心中での呟きはおくびにも出さず言ってのける。それは小さく揺らぐ想いをはねつける為のものだ。
 総資産の違いすぎるダルシェウルと真っ向からぶつかったところで勝ち目などない。
 たまたま相手が引き際を与えてくれたから乗じただけだ。だがその引き際に吊られた餌が思いの外、魅力的だったのがいけなかった。
 生じたのは迷いではなく、戸惑いだった。
 人ひとりの代償として、蹴るにはどう見ても“過ぎる”餌を用意されても、選択の余地などないと判断してしまった事実にリゼは戸惑いを覚えたのだ。
 本来ならば、今までならば、まず間違いなく下していた判断を違えた自身への困惑。
 それを払拭するように語気を強める。
「――が、良い機会なので一つ、訂正しておきます。私は長いものには巻かれますが、金に媚びたことは、この人生ただの一度もありません」
 腹に据え兼ねた言葉を引っ張り出すと、ゼルは吊り形の眦(マナジリ)を大きく開いた。
「あ、っと……悪ィ」
 素直な人間は何故こうも簡単に謝罪の言葉を使えるのだろうかと思うほど、彼はさらりと口にした。
 毒気は抜かれるどころか募ったけれど、皮肉すら素直に受け取られたら居心地の悪い思いをするのはこちらなので、リゼは彼の失言を許すことにした。
「まあ、いいでしょう。……状況のお膳立てはしました。私の役目は此処までです。このあとは、ゼル。全て貴方にかかっています」
 エナが望んだ“後始末”は概ねどうにかなりそうだ。
 ここから必要なのは頭脳でも話術でも権力でもなく、純粋な力だ。
 粗野だ野蛮だと忌み嫌ってはいるが、その力が必要な時だってあるということをリゼは勿論知っている。要は頭脳労働者の優位を保っていたいだけで、反武力派というわけではないのだ。
 使えるものは何だって使う。
 武力だろうが、他人だろうが――自身だろうが。
「私を斬りなさい。そしてエナさんを奪還してこの屋敷を出るのです」
「な……!?」
 目が零れ落ちそうな程驚くゼルに、ようやく溜飲を下げたリゼはにっこりと笑う。