私達が伏見城に到着したのはその日(慶長5年7月29日)の夕方だった。


三成様は陣営の中で将達を集め、何やら話している。


作戦会議のようだ。


その最中、長束正家様が、敵にも味方にも甲賀の者がいることに気付き、こんな提案をした。


「こちらの甲賀衆を使って向こうの甲賀衆を内応させてはどうか」


「ほう、どうやって」


三成様が興味深そうに膝を乗り出す。


「奴らの妻子を人質に取るのだ。こちらに寝返らないと妻子をことごとく捕らえ、磔(はりつけ)にする、と脅す」


「なるほど。銃撃戦で膠着(こうちゃく)状態である今、突破口はそれしかあるまい」


こうしてこの後、なおも細かい打ち合わせが行われた。