一応玲子に紹介は済ませたものの、どうにもバツの悪い晴人は、上機嫌でプリンを頬張る千彩の横顔を何とも言えない複雑な思いで見つめていた。
「なー、おばちゃん。俺もここ泊まってええ?」
「自分のお家があるでしょ?」
「帰りにくいんやって。お願い!この通り!」
顔の前でバチンと両手を合わせる恵介は、ここ数年実家に顔を出すどころか電話の一本すら入れていない親不孝者で。たまたまスーパーで出くわした恵介の母親からそれを聞かされていたものだから、母も簡単には首を縦に振らなかった。
「帰りにくいんやったら、おばちゃんが電話したげるから」
「いややー!泊まるー!」
「もうっ。そんな子供みたいなこと言わへんのよ。お母さん、恵介君のこと心配してはったよ?」
同じ親として、痛いくらいその思いがわかる。自分も晴人が家に寄り付かなかった頃は随分と気を揉んだのだ。
「おばちゃん、俺は泊まってええやろー?」
「悠真君は智人に聞いてから」
「えー?何でなん?」
「いらんことしたんでしょ?」
うっと言葉に詰まる悠真を見ながら、恵介はしたり顔だ。
あれだけのことをしたのだから、智人が怒っていないはずがない。晴人ならば謝れば許してくれることも、智人が相手だとそう簡単に済まないことは多々ある。
「なぁ、母さん」
あんたまで何だ!と言わんばかりの視線に肩を竦めるも、晴人が怯むことはない。他の二人とは違い、この家の息子なのだから。
「智が帰ったら、俺ちょっと出るから」
「どこ行くの?」
「ん?んん。ちょっと」
察してくれ。言葉にせずとも伝わったのは、恵介にだけだった。
「せや!ちーちゃん!今から悠真ん家行こか!」
「ゆーまのお家?なんで?」
「悠真の家、でっかいんやで!えーっと…そう!ナギん家みたいなんや」
「えー!ちさ、行ってみたい!」
好奇心旺盛な千彩ならではの瞳の輝き。それにハッとしたのは、ポカンと口を開けていた悠真だ。
「せやな!うちおいで。妹が三人おるから、ちーちゃんのええ遊び相手になる思うわ。メールしとくし。ええやろ?にーちゃん」
悠真にしても、智人の仕置きは恐ろしい。付き合いが長いからこそ、遠慮などというものは無いに等しいことは十分承知している。
「あー…そやな。ちぃ、恵介と行っておいで」
「はるは?」
「俺、ちょっと用事あんねん」
瞬時に曇った表情が、不安を訴えている。チラリと視線を投げ掛けると、頼りになる親友と後輩がグッと親指を立てて笑った。
「何も無い。大丈夫や。嫌な思いさせてごめんな」
「はる、ちゃんとお家帰ってくる?」
「当たり前やろ。遅くなるかもしれんから、ママと寝とってな?」
「んーん。ともとと寝る」
ああ、そうですか。と、言葉に出来ない嫉妬心。大人になるということは、とても厄介だった。
「晴人」
ヨシヨシと千彩の頭を撫でながら笑う晴人に、母は不安げに声を掛ける。
幼なじみの玲子のことは、母もよく知っている。
智人がずっと玲子のことを好きだったことも、玲子が泣いて東京から帰って来たことも知っている。
決して口出しはしなかったけれど、心配だけはずっとしてきた。
「あのね、玲子ちゃんのことなんやけど」
千彩との会話の中で、玲子の店へ寄ってきたということはわかった。
そこでどんなやり取りが行われたのかまでは詳しくわからないけれど、それがあまり良い方向に転ばなかったということは、晴人の曇った表情から見て取れる。
何年も離れて暮らしたとて、やはり母と息子なのだ。
「母さん、玲子の話は…」
「玲子ちゃん、ちょっと調子が悪いんよ」
「は?元気そうやったけど。憎まれ口も健在やったし。なぁ?恵介」
話を振られた途端、恵介の表情に焦りが見え始める。
えっと…えーっと…と言葉を選んでいるのは、まだ隠し事がある証拠だ。
「まだ何かあんのか?あるんやったら今言うとけよ」
「いやぁ…まぁ…」
「何やねん。俺はただでさえイライラしとんねん。これ以上怒らすなよ?」
ギッと目に力を入れると、びくりと跳ねるのは悠真と千彩の肩。
もうどうにでもなれと構わず睨みつけていると、恵介の重い口が漸く開いた。
「あのー…あれやん?一時期ちーちゃん具合悪かったやん?」
「おぉ」
「あんな感じやねん。ただ…」
玲子の場合は一人でそれに耐えとった。
ゆっくりと押し出された言葉に、心が抉られるような痛みを感じた。
気が付いた時には、晴人は家を飛び出してアスファルトを駈けていた。

