あのころ。あのころの僕がそこに居た。
髪は砂埃にまみれてばりばり、半ズボンの裾から覗く膝小僧には絆創膏が両足ともに貼ってあり、スニーカーの白い部分はすべて茶色に変色している。口角をゆるく上げ、生意気そうな目を釣り上げて僕を見つめていた。
僕は何も言えなかった。恐ろしいとか気味が悪いとかいう気持ちは一切無かったのに、足が竦んで動けなかった。なぜだかとても泣きたくなった。かつての自分の足元に縋り、泣き叫びたい衝動に駆られた。
どくん、どくんと心臓の音が聞こえる。耳のすぐそばで心臓が動いているみたいだ。
かつての僕は照れくさそうにぽりぽりと頭を掻いてから話し始めた。
「ま、なんだ。ひさしぶり? それともはじめましてかな」
手の上のりんごはいつの間にか消えていた。そのかわりに僕の手のひらは大量の汗を乗せている。
「今まで出てきた三人、思い出した?」
脳で言葉の意味をよく理解してからゆっくりと頷く。かつての僕がまたもや照れくさそうに笑った。
一人目。幼い女の子。
あのころ、突然近所に引っ越してきた女の子。一人で砂いじりをしていた初めて見る顔に好奇心から声をかけると、彼女は嬉しそうににっこりと笑った。それから度々公園に来るようになって、砂場で一緒に泥団子を作ったりしたっけ。「おにいちゃん」って呼ばれるのがなんだかむずがゆくて、でも嫌な感じはしなかったんだ。一人っ子同士、お互いに「兄弟ができたみたいで嬉しい」って話をしたこともある。
だけど、しばらくしてから彼女は引っ越した。お別れのとき、えぐえぐ泣きながら渡された泥団子はとっても綺麗で、彼女が今まで作った中でも最高の出来だった。僕は嬉しくって、お別れした後もその泥団子を小さなお皿の上に置いて部屋に飾ってた。だけど、今はもうどこにも無い。いつの間にか失くしてしまっていた。きっと、お母さんがただの泥と思って捨てたんだろう。それはきっと彼女と別れてから何年か後のことだったのだろうけど、そのころには僕も泥団子のことはすっかり忘れてしまっていたんだ。
それっきり。記憶の中でも、彼女とは会っていなかった。



