その日の夜。

アランとの夕食を済ませたエミリーは、自室でリボンの仕上げに取りかかっていた。

これだけは早く作ってしまわないと、シャルルが自由にお散歩できない。

今日ばかりは、毎晩楽しみにしているメイとのお茶も断って、ちくちくせっせと刺繍をほどこしていた。


アランが“コレが良い”と推してくれたと聞いた、自身のお印薔薇の花。

手紙などに捺す印章として使っているのはとても複雑なデザインのもの。

その印を見本にして時々見比べながら、針を進めていく。

薔薇の花はともかくとして、蔓に見立てたという周りの枠が複雑にくるくるしていてけっこう難しい。



―――できる限りこれに似せたいのだけれど―――


“エミリー様らしい素敵なお印ですわね”

“アラン様はエミリー様のことをよく解っておられますのね。流石ですわ”


そう皆も言ってくれるし、このエレガントなデザインはとても気に入っている。

けれど、こんな風に急ぎなときには、もっと簡単なお印のほうが良かったかも・・・、などとちょっぴり思ってしまうのだった。

とはいっても、お印は王子妃の紋章のようなものだから、簡単に真似できるものでは駄目なのも事実なわけで―――・・・。

アランの紋章はもっと複雑で、以前にハンカチに刺繍しようと試みたけれど、どこがどうなってるのかよくわからなくて諦めたことがある。



「アラン様のものよりは、かんたんだけれど・・・」



本当に、いろいろと難しい。

故郷ではサイン一つでなにもかもが出来たのに、と、こんなところからも世界の違いを実感してしまう。



「できたわ。なんとか形になったわね。それに、とてもかわいいわ。これなら、アラン様に“合格だ”って、ほめてもらえるかしら」



薔薇の花を真ん中にした楕円型の蔓模様。

型がないために少し歪んでしまったけれど、ちゃんと王子妃のお印に見える。

急いで作った割りには上出来に思う。

あとはシャルルの名前を入れるだけ。



「シャルル。もうすぐ出来上がるわ、待っててね」



にこにこと笑みながらシャルルを見れば、料理長特製の“シャルルフード”を食べ終わり、今は満足げに毛づくろいをしている最中だった。

その艶々と光る銀色の毛並みが、アランの髪と重なる―――



“エミリー、良いな?私に任せよ。絶対に、無茶をしてはならぬ”



夕食の後、自席を立って傍に来たアランが跪いてそう言った。



“良いか?これは、私から君への命令だ”



―――とも。

今まで、頼まれた事はあっても、はっきりと命じられたのはこれが初めてだった。