ドキドキしていた。
放課後の教室。
級友たちが去った、ちょっと、汗臭い空間。
「すきだ」
僕は、学生服越しに、彼の逞しい腕力と体温と、背中に鼓動を、確かに受け止めている。
――好き……?
壁の向こうには、さっきまで級友たちが走り回っていた廊下。
まだ、何かが漂っている。
人のいた温もりがまだ、残っている。
「ずっと、ずっと、お前が……好きだった」
明日は卒業式。
先輩である彼は、明日、ここを巣立つ。
窓の横にのぞむ体育館からは、あおげば尊しのピアノ旋律が、微かに聴こえる。
「お願いだ……。一度だけ……」
窮屈な詰襟が、微かに皮膚を刺激して、微かな痛みを連れてくる。
僕は、動けなかった。
背中に感じる、学生服のボタン。
まるで突き刺すほどに、近い。
「……先輩」
夕焼けが瞳を串刺しにする。
「あの……」
自分でも、唇が震えてるのが判る。
「ボタン……痛い」
僕の言葉に、微かに緩む腕。
隙間に流れ込む“哀”に、僕はハッとした。
「……ごめん」
ゆっくりと解かれる腕に溢れる“哀”
夕焼けが、今度は彼の睫毛を貫いた。
「悪かった……」
「先輩」
緩められた詰襟に、開かれた学生服。
夕焼けが、教室内をオレンジ色に染める中、僕は離れてゆくその腕を指で追った。
「ボタン、ください」
彼の瞳が、揺れる。
「二番目のボタン……ください」
震える唇をそっと近付け、ゆっくり、踵をあげながら、僕は、ささやいた。
「そのボタン、ください」
夕焼けが、煌めく光で教室内を照らす。
軋む床に倒された僕の掌で、金色のボタンが、その光を反射した。