週末の薬指

私の目の前に広げられたのは、話の流れから何となく予想できていた『婚姻届』だった。

今聞かされたとおり、私が記入するべき箇所以外は全て記入が終わっていて、後は私のサインを待つばかりの状態。

初めて見るその用紙は、思っていた以上に薄っぺらくて今にも飛んでいきそうなくらいに儚いもの。

重量感のない単なる紙切れ一枚に過ぎないと思いながらもやっぱり、その用紙が示す未来への意味を考えざるを得ない。

私がサインして、夏弥と同じ戸籍に入るという未来を選択していいのだろうかと、それを考えるにつれて次第に単なる紙切れ一枚に思えなくなってくる。

「夏弥は、私の事を……」

「愛してる」

私の言葉にかぶせるような声がすぐに返ってきた。

体が触れ合うくらいの近い距離で私をじっと見つめて、決して冗談ではないとでもいうように口元をぎゅっと引き締めている。

『愛してる』という言葉には、嘘も迷いも感じられないし、私を心から大切に思っている気持ちも感じ取れた。

きっと、夏弥の思いをその一言に込めているんだろうとわかる。

でも。

「愛してくれてるとしても……こんなに早く結婚する必要があるのかどうか……。それに、えっと、その……どうして?どうして愛してるの?まだ出会ってからそんなに長くないのに」

愛してると言われる事も慣れていない。ずっと昔、悠介と付き合い始めた時に何度か言われたように思うけれど、付き合いが長くなるにつれて言葉にすることは少なくなっていた。

悠介との結婚の話が出ても、その話がこじれている時にも、悠介から愛してるなんて言葉も気持ちも伝えられた事はなかったような気がする。

それだけ、悠介の気持ちは私から離れていたと、今ならわかる。

「愛するなんて、簡単な事じゃないよ。……愛さなくなるのは簡単だけど」

当時の苦しい気持ちを思い出して、思わず投げやりな口調になってしまった。
夏弥が悪いわけではないのに、まるで責めるような声音が出てしまって、自分でも驚いた。

「あ、ごめん……夏弥がそうだって決まったわけじゃないのに、つい……ごめん」

俯いて、なんだか泣きそうになる。

プロポーズされて、婚姻届も目の前にあって、本当なら嬉しい事に違いないのに、どうしてこんなにも後ろ向きな言葉しか言えないんだろう。

ぐっと唇をかみしめて、気持ちはどんどん落ち込んでいく。

そんな私の体を抱き寄せると、夏弥は自分の胡坐の上にすとんと落とした。

気付けば私は夏弥に横抱きにされていて、体全体を抱きかかえられるように包まれていた。

「夏弥……?」

かなり近くにある顔。ゆっくりと見上げて夏弥と視線を合わせた。

「こんなに早くなんて言葉は俺にはあてはまらない。好きになって3年も経てば、結婚したいと思っても不思議じゃないだろ?」