閉会式が終わっても、まだ興奮冷めやらん、といった感じの体育館内。
 それでも徐々に自分たちのクラスへと移動が始まる。
 これは人が少し引くまでは出られそうにない。
 出口を見てぼーっとしていると桃華さんが来た。
「どうだった? 歓声の中にいるのは」
「あのね、声がわーって上から降ってきてすごかった!」
「うん、そんな顔してたわ」
 ふたり顔を見合わせクスクスと笑う。
「俺ら、まだ片付け残っててクラスに戻れないんだけど、海斗と立花が来ると思うからもうちょい待ってな」
「うん」
 しばらくすると、海斗くんと飛鳥ちゃん、というよりはクラス全員のお迎えが来た。
「お勤めご苦労!」
 なんて、ところどこから言われて少し恥ずかしい。
 あ、恥かしい、じゃなくて、くすぐったい……かな?
 そこに、ミネラルウォーターをがぶ飲みする飛鳥ちゃんが戻ってきた。
「飛鳥ちゃん! すごいすごいすごいっ!! なんで教えてくれなかったの!?」
「へへぇ……びっくりしてもらおうと思って」
 言うと、
「翠葉~、楽しかったけど疲れたよ~」
 いつものように抱きつかれ、
「うんうん、お疲れ様」
 言いながら抱きつき返したらびっくりされた。
「翠葉好きーっ!」
 いつものごとく、猫のようにゴロゴロと懐かれる。
 それを見ていたクラスメイトが、「私もー」「俺もー」ともみくちゃになるのはいつものこと。
 だいぶ慣れてきたかも……。
 クラスに戻ってホームルームが始まる頃には、時計は五時を差していた。
「お前らがんばったなー! 最後に俺からおごりのジュースだ!」
 川岸先生がひとりずつペットボトルを配る。私のところに来るとニカっと笑って、「御園生も馴染んだな」と言われた。
「……そうだったら嬉しいです」

 ホームルームが終わると、蒼兄からメールが入っていることに気づく。


件名:昇降口にいる
本文:大学終わったから昇降口で待ってる。


 五分ほど前に届いたみたい。
「蒼樹さんから?」
 海斗くんに訊かれ、コクリと頷く。
「えっ!? どこかにいるのっ!?」
 途端にきょろきょろとしだしたのは佐野くん。
 普段はそんなことないのだけど、蒼兄のことになるとミーハーっぽくなる不思議な人。
「今、昇降口にいるんだって。一緒に行く?」
 佐野くんは顔を縦にブンブンと振った。それはそれは顔を真っ赤にして。
 混雑した昇降口から少し離れた――入学式の日に寄りかかっていた桜の木の下に蒼兄がいた。
「蒼兄っ!」
 声をかけると、読んでいた文庫本を閉じてこちらを見る。
 五人揃って蒼兄のところまで行くと、蒼兄が佐野くんに気づいた。
「初めまして、佐野明くん。翠葉がいつもお世話になっています」
 とても普通の挨拶だったけれども、佐野くんの反応は普通とは言いがたかい。
「いっ、いいいいえっっっ」
 言葉が上ずるくらいには緊張している様子。
「人間語話せよっ!」
 海斗くんに後ろから蹴りを入れられまともになる。
「初めまして、佐野明です……」
 どうやらその次が続かないらしい。
「困ったな……俺、そんな緊張されるような人間じゃないんだけど」
 蒼兄は頭を掻きながら苦笑した。
「君の走り、見たことあるよ。今年、インターハイ行くつもりなんだろ? がんばって」
「がんばります……。蒼樹さんみたいに走れるように。自分にも人に何か残せるように」
 何を思うところがあったのか、蒼兄は目を細めて笑うと佐野くんの頭をくしゃくしゃっ、とした。
「楽しみにしてる。怪我だけは気をつけて」
「はいっ」
 飛鳥ちゃんが、「良かったねぇ」と佐野くんをいじると、佐野くんは顔をくっしゃくしゃにして笑った。
 そのふたりを見て安心する。いつものふたりだ、と。
「翠葉も今日は疲れたんじゃないか?」
 蒼兄が顔色を見るように覗き込む。
「うん。でもね、とっても楽しかったの!」
「この学校のイベントはどれも楽しめるよ。何かしら変な伝統があるから」
 その言葉に反応したのは海斗くんだった。
「そうですね。何かしらありますね」
「あ、そういえば……かわいい翠葉の写真とかいかがです?」
 桃華さんがコンデジを手ににこりと笑う。
「さすが簾条さんだな」
 桃華さんからカメラを受け取り、かばんの中からノートパソコンと取り出すとデータのコピーを始めた。
「桃華さん……カメラなんて持っていたの? でも、今日、ほとんどクラスのほうにいなかったよね?」
「そうね。でも、写真は別に私が撮らなくてもいいでしょう?」
 にこりと笑みを深めると、
「それ、常にクラスの誰かが持ってた密告デジカメ」
 と、佐野くん。
「ミッコクデジカメ?」
 訊き返すと、
「イベントは思い出にも形にも残す主義なの」
 言いながら、桃華さんはきれいに微笑んだ。
 つまりはどういうことだろう? アルバムを作る、っていうことかな?
「翠葉……。桃華な、試合が始まる前にクラス全員にメール送ってきたんだぜ」
 海斗くんがメタリックブルーの携帯を見せてくれる。


件名 :ミッション
本文 :取られる前に取りに行け。
    取られたら取り返せ。
    途中で諦めたりしたら許さないわよ?
    私、集計作業で忙しくなるから、
    しっかり写真におさめておくように。

    魔の徒競走前には翠葉を保護すること。
    飲み物の確保はこっちでするから
    全力で中央観覧席一、二列を死守せよ。

    Do or die !

    みんなの桃華より



「簾条さん、やるね……」
 蒼兄が珍しく大笑いしていた。
「ふふふ、このくらいお安いご用です」
 桃華さんはあくまでも可憐に笑う。
 これは……みんなが攻めの姿勢を崩せないわけだよね。点を取られたら意地になって食らいつくのもわかる気がする。
「あ、蒼樹さん。ご存知でしょうけど、後日、校内展示でかなりの枚数、翠葉の写真出回ると思いますよ?」
 ……え? なんの話?
「あぁ……かなり色んなところで撮られてたからなぁ……」
 桜の木の根元に座り込む海斗くんが思い出したかのように言う。
「そっか、その伝統もまだ残ってるんだ? すっかり忘れてたよ」
 蒼兄は頭を抱え込んでしまう。
「……何?」
 訊くと、
「んー……なんていうか、いわば校内コンテストみたいなもの?」
 と、飛鳥ちゃんが首を傾げる。
「大雑把に言うと……全校生徒の撮った写真が後日生徒会にガンガン送られてくるんだ。で、生徒会がその写真をより分けて、厳選された写真が食堂にずらっと貼られる。それを全校生徒の人気投票にかける。ひとつは写真として完成度の高いものを選んで、もうひとつは写真に写っている人の人気投票みたいなもの」
 海斗くんが詳しく教えてくれた。
「それで選ばれた男子は王子って呼ばれるし、女子は姫って呼ばれるわ。ふたりには文化祭でその年毎に決まった催しをすることになっているの。たとえば劇の主演とか写真撮影会とか。ほかには校内デート権のくじ引きとかもあったわね」
 桃華さんの補足に頬が引きつる。
「司にでも言って手を回したいところだけど、そこは難しいかなぁ……」
 蒼兄が思案顔になると、
「あら、もう最低限の手は打ってきましたけど?」
 桃華さんが不思議そうに蒼兄を見上げた。
「え?」
 蒼兄が桃華さんの顔をまじまじと見ると、余裕たっぷりの笑みが返された。
「クラス委員の特権と申しましょうか――全学年全クラスのクラス委員を味方につけたので、全校生徒のデジカメの中身の検分くらいなんてことありません。それはもう、きれいに携帯の中までチェック済みです」
 品よくにっこりと微笑んだ。
「あぁ……確かにそれだけの働きはしたな。俺、初めて買収っていう取引を目の当たりにしたわ」
 佐野くんが桃華さんから目を逸らしてもらした言葉。
 桃華さんはいったい何をしたんだろう。
「翠葉、安心して? そんな極悪なことはしてないから。集計作業を少し引き受ける代わりに、クラスメイトのデジカメ画像検分をお願いしただけ。ついでに、念書の回収もね」
 ……労働力を提供する代わりにこれをやってくださいって、立派な買収じゃ……。
「画像の処分はさせていないし、校内コンテストの制限もかけてはいない。でも、二次配布等の悪用はしないって念書、今日だけでも半数は回収済みよ。がんばったでしょう?」
 あくまでもかわいらしく笑う。
 佐野くんがスポーツバッグからバサ、と紙の束を出し、
「念書、現物っす」
 と、蒼兄に見せる。
「念書は集まりしだい生徒会に一任されるので、何か違反があれば、すぐに停学申請されます」
 佐野くんが付け足すと、
「簾条さん……君だけは敵に回したくないと、今、切に思った」
 珍しく、蒼兄の笑顔が固まる。
 いや、誰もが唖然とすることをサラ、とやってのけたというのが正しいのだと思う。
「あらやだ……。蒼樹さんと結託することはあっても、敵になる予定はないんですけど?」
 心外だわ、って顔。
「ただ、写真部だけは正式に動いている部なので、あそこだけは私ではどうにもできませんけど……」
 言うと、
「あぁ、あそこを仕切ってるのは現生徒会長でしょう? それなら下手なことする人間はいないと思う」
 蒼兄に笑顔が戻った。
 図書室で会ったとき、ふたりが「気が合いそう」と言った意味が少しわかった気がする。
 桃華さんは学年の女帝でおさまる器じゃない気がしてきた。なんか、将来の夢に「世界征服」を掲げていても納得できてしまうかも……。
 とはいえ、これだけ尽力してくれたことには感謝、かな。
 校内コンテストというものの規模がわからないからいまいちピンとはこないけど……。それもそのうちわかるのかな……。