夜は秋斗さんも静さんも楓先生も揃った夕飯となった。
 もちろん湊先生と蒼兄、海斗くん、司先輩も一緒。
 どうやら会食は栞さんの家に集ることが恒例らしく、四人掛けのダイニングテーブルは八人掛けテーブルへと変化した。
 九人で囲む食卓はとても賑やかで、少し心が浮き足立つ。
「楓先生、お久しぶりです」
 先生が麻酔科に落ち着いてからはあまり会うことはなかった。
「本当だね。少し見ないうちにきれいになったんじゃない?」
 たとえば、これを秋斗さんに言われると困ってしまうのだけれど、楓先生に言われると、「本当ですか?」と訊きたくなる。この差はいったいなんなのかな?
「翠葉ちゃんにとってはあまり嬉しい情報じゃないんだけど……」
「……なんですか?」
「翠葉ちゃんが麻酔科にかかるとき、自分が麻酔科の担当医になった」
 麻酔科、イコール緩和ケア――できるならば通りたくはない道。
 少し引きつる顔を押さえつつ、
「そのときはお願いします」
 と、頭を下げた。
 そのすぐあと、秋斗さんに話しかけられる。
「これ、うちに忘れていったでしょう? 確信犯?」
 尋ねられて、「何を?」と思う。
 秋斗さんの手にはかわいい陶器の小物入れがあった。それは秋斗さんにいただいた第二の誕生日プレゼント。
「すみません。……でも、確信犯というわけではなくて――」
「嘘だよ。せっかくプレゼントしたんだから持ってて?」
「はい」
 その会話に静さんが加わる。
「私も用意してあるんだ。今度ホテルに来たときに見せよう」
「え? でも、静さんにはディナーをご馳走になったので……」
「あれはあれ。これはこれ」
 藤宮の人たちの概念には、プレゼントは複数以上、という決まりでもあるのだろうか。
 そんなことを考えていると、
「園田にドレスを十着用意させた」
 さらりと信じられないようなことを言われて絶句する。
「――静さん、あまり優遇しすぎないでください。というか……過剰サービスされると辞めますよ?」
「おや? おかしいな。私の予定では喜んでもらえるはずだったんだが……。秋斗、私は何を失敗したんだろうか」
「いや、俺も失敗したみたいなので、俺の意見はあまり参考にならないかと……」
 そこに湊先生が割って入った。
「翠葉、くれるって言ってるんだから"ありがとう"ってにっこり笑ってもらっておけばいいのよ」
 先生はソファに座り長い脚を投げ出す。
「それじゃ、自分が悪女のようです……」
「くっ……あんた、悪女って柄じゃないから大丈夫よ」
 すると、部屋の隅でひっそりと本を読んでいた司先輩が、
「いや、翠は立派な悪女だと思う」
「……静さん、秋斗さん、やっぱりプレゼント受け取れません……」
 おずおずと、陶器の入れ物をテーブルに乗せる。
「「司、余計なことは言うな」」
 静さんと秋斗さんが司先輩を振り返り声を揃えた。
「物がどうこう以前に、その鈍さがすでに罪だと思う」
「それは言えてる」
 司先輩の言葉に同意したのは海斗くんだった。
 蒼兄は少し離れた場所で静観を決め込んでいる。
 私は蒼兄を頼って会話の中心から逃れた。
 そんな私を蒼兄の隣にいた楓先生がクスクスと笑う。
 栞さんはキッチンで夕飯の準備中。
 ふと時計に目をやると六時を回っていた。
「薬飲まなくちゃ……」
 立ち上がり、ピルケースを持ってキッチンへ行く。
 薬を飲み終えると、湊先生がキッチンの入り口まで来ていた。
「翠葉、時間で薬を飲んでいるの?」
 コクリと頷く。
「でもっ、ちゃんと六時間置きだし、一日の服用量は守っています」
「……あと一日ね。よくがんばってるわ」
 先生、本当は六日まで待ってほしいの……。
 言いたいのに、口にできない。
 湊先生がキッチンを去ってからはしばらくフローリングを見ていた。すると、誰かに見られているような気がして顔を上げる。
 私を見ていたのは楓先生だった。
 私が首を傾げると、楓先生は「なんでもないよ」と言うかのように、首をゆるく左右に振った。

 みんなで楽しく夕飯を済ませると、いつものように八時くらいで解散。
 静さんは仕事に戻るそうで、楓先生は夜勤と言っていた。ふたりとも、きちんと睡眠時間は確保できているのだろうか、と少し心配になる。
 湊先生が帰るとき、
「翠葉、明日はホームルームが終わったらそのまま保健室にいらっしゃい」
「はい」
「保健室までは海斗が送ってくれるから」
「……あの、保健室までならひとりでも行けます」
「あんた、まだ警護対象者なのよ」
 言われて納得する。未だに私には理解できない警護体制。でも、それもあと数日のこと。
 きっと、何も起きない。ただの取り越し苦労で終わる。
 そんな気がしていた。

 客間でお風呂に入る準備をしていると、蒼兄がやってきた。
「今日、ショッピングに行ったんだって?」
「そうなの! 初めてショッピングモール内をひとりで歩いて少し緊張した。でもね、春物のセールをやっていて、リネンのワンピースとチュニックが半額だったんだよ!」
「あぁ、あのショップのルームウェアか。翠葉、好きだもんな。良かったな」
「あとね、久遠さんの新しい写真集もゲット!」
「今度、俺にも見せて」
「うん」
「じゃ、そろそろ俺は帰るから」
 蒼兄を見送ってからお風呂に入り、お風呂上りに栞さんとハーブティーを飲みながら少し話しをして十一時過ぎにはお薬を飲んで休んだ。


 * * *


 ぐっすりと眠って起きる朝は気持ちがいい。
 結構早くに起きたものの早朝散歩に行けるわけもなく、仕方がないので少しだけ課題テストの勉強をした。
 そうこうしていると時間は過ぎ、朝食を摂ったら湊先生と一緒に登校。
 この日は海斗くんも司先輩も一緒だった。
 秋斗さんも一緒にエレベーターに乗ったけれど、車通勤のためひとり二階で降りた。
「今日の病院は行きも帰りも秋斗が送迎してくれるわ」
 そうは言われても、何かが起こる気はしなかった。
 学校に行けばクラスメイトと挨拶を交わし、ノートに目を通す。
 今日が終われば期末考査までのしばらくの間は、このピリピリとした教室の空気はなりを潜めるだろう。
 期末考査までにあるイベントと言えば、生徒会就任式と生徒総会くらいなもの。
 けれども、私はその間学校へは通えない。
 最初からわかっていたこと。わかっていて決断したこと。
 私は自分が決めた道をきちんと歩いている――。
 どこか自分に言い聞かせながらいつものメンバーと言葉を交わしていた。
 すべてのテストを終え、ホームルームが終わると海斗くんに付き添われて保健室へ向かう。
 保健室では湊先生が電話中。
 海斗くんは、「じゃぁな」とすぐに廊下を駆けていった。
「行きはかまわないけど帰りが問題ね。私、すぐには帰れないのよ。――あ、そう? じゃ連絡頼むわ。はい、じゃーね」
 一度通話を終えたものの、先生はまたどこかへ電話をかける。
「急で申し訳ないのだけど、病院まで送ってもらえる?」
 問いかけに返事があったのか、それだけで通話を切った。
「秋斗、緊急の仕事が入って送迎できなくなったみたい。行きは私付きの警護班に送ってもらうことになる。帰りは司か海斗が迎えにくる予定」
「……なんかお手数をおかけして申し訳ないです」
「気にすることないわ。面倒ごとは珍しくないし、根源は一族の人間だし」
 私に根源があるわけではない。確かにそうだけれど、どうしても申し訳なさを払拭することができなかった。
 しばらくすると湊先生の携帯が鳴った。
「迎えが来たから行きましょう」
 私たちは悶々とした気持ちを抱えて保健室をあとにした。