生活も少し落着いてきて日本に電話を入れた。
広島の義兄の実家とくるみと勝秀に連絡した。その結果。
300ドルを持ってくるみがウィーンに来ることになった。

9月下旬だ。3週間のバイトも終わり、その日に合わせて、
修理した車に画家のおじさんに浮世絵のペインティングを
してもらい、そのおじさんと一緒にウィーンへ下ることになった。

出発の日、ユースの前で皆が見送ってくれた。
黒人学生とは「ヘイユウ!」と言っては大笑いをした。
マメタンには「必ずお金は返します」とみんなの前で誓った。

さよならまた帰ってくる。
快適なドライブで一路ハンブルグへと向かった。

ハンブルグは大きな港町。英語読みでハンバーグ。
そこのステーキはそうハンバーグステーキ?

ユースは町の中央、盛り場レーパーバーンのすぐ近くにあった。
欧州にはほとんどの国に公娼がいまでも健在だ。

画家のおじさんは金持ちだったので、
行こう行こうと誘われて一応一緒にのぞいてみたが
オサムは先に帰った。後で聞くと、

ぼったくられてバカにされて散々だったと、
画家のおじさんは目に涙して怒っていた。
やっぱり行かなくてほんとうによかった。

アウトバーンは快適だ。ハノーバー、ケルンとこのあたりは
車も多く工場地帯だ。ニーダーザクセンと言う。
ふと見るとホンダのN360が走っている。

アウトバーンでは日本の軽は無理だと思うが・・・?。
ハンドルを持ったおじさんの顔は真っ青だった。
よほどの日本ファンなのだろうな。

フランクフルト、ハイデルベルグ、シュトッツガルト、
アウグスブルグと下り、快適な全線無料スピード制限なしの
アウトバーンとユースホステルの旅。