「営業開始時間までの間なら好きに使っていいってさ。使いたいときは、俺が鍵開けてやるから」

「本当にいいのかい?」

「いいんだろ? な、マスター」

響也がカウンターの向こう側を覗く。

気がつかなかったが、いつの間にか薄闇の中に細身の中年男性が立っていた。

「構わないよ。タダでとは言わないけどね」

口髭を生やした男性──マスターが、目尻に皺を刻ませながら柔和に微笑んだ。

僕はマスターに会釈をしてから、頷いた。

「ええ、使わせていただく対価は、できる限り払わせていただきます」

「はは、さすがは橘のお坊ちゃまだねぇ」

テノールの甘い声で穏やかに笑ったマスターは、僕に片目を瞑って見せた。

「橘律花と奏一郎、二人のサイン入りCD。ショスタコーヴィチがいいなぁ。どこを探しても見つからないんだよ」

僕は軽く頷いた。

そのCDなら、家に何枚かあったはずだ。

サインは父や母が帰ってきたときでないといけないから……早くても二週間後になってしまうが。

それでも良いかと訊ねたら、マスターは顔を綻ばせて了承してくれた。