榎木夕菜が小学生の時、彼女はいつも一人だった。
彼女の机には仏壇に供える花と花瓶が置かれ、教科書はボロボロだった。
背が高いという理由から、怪獣やタワーなど、様々なあだ名をつけられた。
殴られたり、嘲笑われたり、無視されたり。
いつも彼女は心を土足で踏みにじられながら、家路についていた。
そんな彼女を玄関で迎えてくれるのは、祖母だった。
祖母は彼女にいつも言い聞かせた。

「背が高いのだってお前の個性じゃないか、神様が与えてくれた大事な個性さ」

この言葉に、彼女は何回も救われた。
だけど、めったに帰ってこない両親は、帰るたびに彼女の事を罵倒した。

「お前が泣くからからかわれるんだ」

「そんな事でいちいち話しかけないでちょうだい、お母さん忙しいの」

「なんだこの成績は!お前はバカか!」

「お母さんもう出かけるの、後でおばあちゃんが来るからおばあちゃんに話なさい」

「放しなさい!うっとうしい!」

赤い口紅を塗って、女の匂いを漂わせて出かけ、たまに帰ってきては彼女を疎ましい目で見る母親。
なにも言わず、なにも見ず、仕事にだけ意欲を見せて、何週間も帰らない。口を開いても厳しい事しか言わず、物を投げつけてくる父親。
外では、毎日毎日攻撃をうけ、誰も彼女自身を見ようともしない。

――彼女の居場所は、祖母の腕の中にしかなかった。

そんな祖母が、彼女が小学校の6年生の中学に上がる間際に、他界した。
彼女は、正真正銘の〝ひとり〟になったのだ。
誰も帰らないこの部屋で、彼女は失くしたものの大きさを、一人で受け止めるしかなかった。
祖母が他界したのを期に、両親は離婚した。彼女は父親に引き取られ、別の土地に移る事になった。
中学校の入学式の日に、彼女は新しい土地、新しい学校に移り住んだ。
彼女は、心に決めていた事があった。
祖母に、一度だけ聞いていた話があった。
彼女の祖母は、若い頃によく、幽霊を見ていたんだと――。
彼女は、ドキドキと、張り裂けそうな胸の鼓動を隠して、にこりと笑った。

「私、実はね……幽霊見えるの」

初めは不審な目で見ていた生徒達も、次第に彼女の言う事を信じるようになった。
彼女は実は、口が上手かった。
今まで誰にも気づかれず、誰も彼女を見ようとしなかったためか、誰も知らない、彼女自身も知らない隠れた特技だった。
そんな巧みで、楽しい話術で、彼女は人気者になった。
今までの、無視をされたり、暴力をふるわれたりした日々がまるで嘘のようだった。
彼女が自分を偽るようになって、彼女の人生は大きく変わった。
周りに人が溢れ、始めた剣道でまた、才能が開花された。
そして、彼女はよく笑うようになった。
笑っていると、周りに人が集まってきたし、父親も少しだけ優しくなった気がしたからだ。
彼女が中学二年生になったある日、父親にある提案をされた。

「白石女子学園に転校してくれないか」

叔母の近くのある学校に転校して、叔母の近くのアパートに一人で引っ越ししてくれ。
父親は彼女にそう告げた。そして自分はここに留まるという。
父親は言わなかったが、彼女は理解した。

――女の人が、出来たんだ。

彼女は笑った。笑って、了承した。
彼女には他に、道が無かった。

――大丈夫、別のところでも、うまくやっていける。

彼女はそう、言い聞かせた。
転校初日、彼女は古い時計塔を見上げた。

――大きいなぁ……。

そんな事をぼんやりと思った。
馴染みの無い教室で、彼女はある一人の女の子に声をかけた。
背が小さく、黒髪を二つにしばっている、可愛らしい女の子。

「初めまして、私、榎木夕菜っていうの。よろしくね」

「あっ、初めましてです。呉野です、よろしくです」

緊張したように微笑んで、手を差し出す。
その差し出された小さな手を、彼女は握り返した。