「やぁ、高坂さん…今日も視察かい?」

 バインダーを持って歩き回る絹に、声がかけられる。

 制服姿の人間は、三兄弟と絹だけなので、すぐに誰からでも名前を覚えられてしまった。

「あ、エンタメ部の…こんにちは」

 了のいる部署の人だ。

 足を止めて、挨拶をする。

「覚えててくれたんだねーうれしいなあ」

 にこにこしながら、寄ってくる。

「今日はエンタメ部に顔を出してくれるよね? いつも下の階から視察始めるから、いつも高坂さん、来るの遅いんだもんなぁ」

 早口でまくしたてられ、ああ、と納得した。

 エンタメ部は上階にあるので、時間配分を考えて回らないと、たどりつけないことがあるのだ。

「この時間なら、この階あたりにいるんじゃないかって、見にきちゃったよービンゴ?」

 だが。

 話が、モーレツに続いていくあたりから、絹は「んー」と心の中で呟いていた。

「いつも、高坂さんは社食だよね…もうすぐお昼だし、よかったら、外のおいしいカフェで昼食でも…」

 立て板に水で続く言葉が――プチンと途切れた。

 絹に同伴している総合秘書の女性が、一歩前に進み出たのだ。

「まだ、業務時間中ですわよ…カドカワ君」

 語尾が、キラーンと乱反射した気がした。

 あー。

 そうか、と。

 ナンパしにきただけなのだ。

 学校では広井家コーティングのおかげで、最初のバカ以外、ほとんど絡んでくる男はいなかったが、ここは会社。

 大人のオニーサマ方が、いっぱいいるのである。

 しかも、いま絹は社長と一緒にいるわけではない。

 総合秘書の女性なら、やりすごせるとでも思ったのだろう。

 エンタメ部の男性 VS 総合秘書の睨みあいの構図に、絹は割って入ることにした。

 簡単に、断れる方法があるのだ。

「すみません、昼食は広井君たちと取る約束をしてるんです」

 ぺこり。

 頭を下げた後、男性を見ると。

 ガビーン。

 ショック、と顔にかいてある。

 反論はできまい。

 社長令息たちとの食事の約束に、かなうはずがないのだから。