朝。

 チョウのことではなく、時間的な朝。

 絹は、歩いて登校する。

「おはようございます」

 住宅街ですれ違う人にあいさつをすると、一瞬、向こうは戸惑った顔をする。

 絹の顔のせいだ。

 美しいものは、それだけで人の思考を奪うのか。

 飾り物と知らずに集まる羽虫たち。

 だから、絹はほほえむ。

 偽物をありがたがる彼らの姿が、滑稽だからだ。

 住宅街を出ると、少し大きな道に出る。

 この道を、あとはまっすぐ歩き続けたら、学校につくのだ。

「高坂さん、乗っていきませんか?」

 そこで、車通学のクラスメートに何回か声をかけられる。

 男もあれば、女もある。

 まだ、ほとんどクラスメートとは話をしていないので、絹に興味があるのだろう。

「いえ、結構です…ありがとうございます」

 たおやかに会釈して、絹は歩き続ける。

 広井兄弟以外と、仲良くする気はなかった。

 ボスが見たいのは、他の学生ではないのだから。

「あれ、絹さん…歩き?」

 また停まった車の、後部座席のスモーク窓が開く。

 絹さん。

 そう彼女を呼ぶのは。

「おはようございます、広井くん」

 将だ。

 あいさつを投げると、座席の奥から、了も顔を出す。

「おはよう! 昨日はごめんね!」

 兄の背中に、のしかかるようにして。

 その了の瞳に、憧憬というものが、しっかりと見いだされる。

 絹が、昨日植えつけたそれ。

「よかったら、狭いけど乗っていかない?」

 将の申し出に、絹は少し考えた。

 ボスのことだ。

 今頃、家で拳を振り上げながら、『乗れ! 絶対乗れ!』と騒いでいそうだった。

「ご迷惑ではないですか?」

 一応、控えめな発言をしてみる。

 答えなど、最初から分かっていた。

「大歓迎!」

 答えたのは、兄の頭を押しつぶしてはしゃぐ――了だった。