香蘭は秋蛍を殴ってやりたい気持ちになったが、その願いはハルが果たしてくれた。
痛がる秋蛍の隣で、ハルはにっこりと香蘭に笑みを向けた。
「笙鈴が本当の名前を教えた人間はね、この世でただ一人なのよ」
「どういうこと?」
「ハル、余計なことは……」
通りを外れて、人目を避けるために森の中へ入ってすぐに、秋蛍が急に足を止め、動くなと二人を制した。
どうしたのだろうと心拍数があがるのを感じたとき、秋蛍が叫んだ。
「伏せろ!」
秋蛍に腕を引っ張られて、香蘭は慌てて地面に伏せた。
間髪入れずにすぐ側の木に矢が真っ直ぐに突き刺さり、自分が立ったままだったらと思うと青ざめた。
「走れ!」
秋蛍は香蘭の腕を掴んだまま、勢いよく走りだした。
香蘭は秋蛍に引っ張られるような形になりながらも、懸命に足を動かした。
怖い、という思いから全く苦しさは感じない。
ただただ逃げたい、助かりたいと、秋蛍の背中を必死で追った。



