ページをめくっていて驚いたのは、月光とワルトシュタインを涼と四季が弾いていた時は、実際に音楽が聴こえてきたことだ。

 それも、その時に寄せる思いが大きくなるほどに。

「音楽が聴こえるなんて」

 忍が感動したように耳を澄ませる。四季も自分の弾いているピアノの音を聴いて「これ、もう弾けない音」と呟く。忍が意外そうな表情になる。

「弾けないって?」

「同じ状況は二度とないだろうから、同じ音ではもう弾けないだろうなっていうこと。ミスをしたら階段が崩れ落ちるんじゃないかという緊張もあったし、涼ちゃんが弾いてくれた月光を先に聴いていて僕も綺麗な気持ちで弾けたらいいなっていう思いもあったし、でも身体はきつかったし。いろいろな感情が混ざっている状態で弾いていたから、こんな音ではたぶんもう弾けない。でもこの時に弾ける、いちばんいい音で弾いていると思う」

「そうね。私も自分が天馬になるとは思ってもみなかったわ」

「──そうだ。それ、僕もびっくりした。由貴も忍が天馬になる筋書きは書いてないって言ってたし。どうして?」

「だって、このままの私なら四季を抱きかかえて逃げるなんて出来ないじゃない?イレーネみたいに天馬になれたら四季を乗せて走れるのにって思ったのよ」

 忍は優しい目で語る。忍は四季を乗せたまま日本国へ帰り、こちらへ着くと同時に天馬の姿から人間の姿へと戻ったのである。

「人はその気になれば、好きな人のひとりくらいは背負えるものなのよ、きっと」

 忍はふふっと笑った。四季は忍を見つめる。

「忍がいて良かった」

 言葉が空気を透明にした。

 あなたがいて良かった。

 未だ語られぬまっさらな未来。

 そこにはあなたがいることから始まる。



        *Fin*