不思議電波塔




 涼はピアノの部屋をぐるりと見渡した。ピアノ以外には何も見られない部屋だった。

 扉さえない。由貴が行ってしまうと、絵の姿は消滅してしまって、涼は完全に部屋の中に閉じ込められてしまった。

 いや、違う。

 逆行のワルトシュタインだけはまだ鳴り続けていた。

 ワルトシュタインは涼は弾いたことはない。聴いたことなら何度かあった。

 涼は四季ほどではないが、それなりにピアノは弾ける。

 涼は心を鎮めて耳を澄ませた。

 今、第2楽章の何処まで来ているのだろう。

 四季の代わりに弾くことは出来るだろうか。

 涼はピアノの前に座った。

『四季じゃないね?』

 晴の声がした。涼は言い返す。

「四季くんじゃなければダメ?」

『桜沢さんがワルトシュタイン弾くの聴いたことないからね。ハンデ大きすぎるよ。最初から出来るわけない無謀なものをつきつけて嘲笑うほどつまらないものもない。どの曲なら弾ける?ああ、誰でも弾けそうな曲なんか答えたら、クリアのハードルあげるからね』

「月光」

『──。ああ、月光ソナタ?びっくりした。激昂かと思ったよ』

 月光は由貴の弾いていたことのある曲だ。ぱっと思い浮かんだ曲名だった。涼も月光なら弾いたことはある。

 晴は何やら涼の気分を害するような言葉で弾くのを邪魔したいようにも窺えた。

 涼はそんな挑発にのるような気分ではない。

「月光ソナタは誰でも弾けるような曲ではないと思う。いいでしょう?」

『いいよ。それなら、桜沢さんが弾いている間は、逆行のワルトシュタインは音量は小さくして、速度は2分の1に落とす。代わりに桜沢さんのピアノを響かせるようにする。どう?』

「そうしたい」

 涼は、鍵盤に手を置くと、月光ソナタを弾き始めた。