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 翌日。いずみは朝食を終えてから、日課となっている薬草たちを手入れするため、温室へと向かった。

 外の花壇にあるのは寒さに丈夫な物や、滅多に枯れない生命力の強い薬草が植えられている。
 こちらはたまに雑草を取るぐらいで充分だが、温室で育てている物は、とても繊細で手のかかる薬草ばかり。自然と温室にいる時間は長くなっていた。

 剪定バサミを手にしながら、いずみはしゃがんで低木に顔を近づけると、細い枝を見つけては切り落としていく。
 だが、不意に昨日の疑問を思い出してしまい、動かしていた手を止める。

(考えても仕方のないことなのに、どうして気になるのかしら?)

 はっきり何がと断言することはできないが、違和感を覚えてしまうのだ。
 もしかすると、見過ごせない何かがあるのかもしれない。

 父に薬師の知識を叩き込まれていた時、言われたことがある。

 人を癒すということは、人の命を扱うということ。
 ちょっとした変化を気のせいだと済ませてしまったせいで、命を落とすこともあるのだ。
 命が消えれば取り返しがつかなくなる。どれだけ慎重になっても、やり過ぎることはないのだ、と。

 もう会えない父の顔が頭に浮かび、いずみの目に涙が滲んだ。

(父さん、母さん、みなも――)

 感情が走り出してしまい、冷静に考えられなくなる。
 どうにか気持ちを落ち着けようと、硬く目を閉じながら息を深く吸った。

 その刹那、キィッと素早く扉が開く音がした。

 この時間に温室へ来たことがあるのは、今のところ水月ぐらいだ。
 ハッとなっていずみは指で涙を拭い、慌てて笑顔を作って振り向く。

 入って来たのは、黒い軍服をまとった青年だった

 首筋まで伸びた波打つ赤金の髪、鋭い目付きに不敵さが宿る群青の瞳。大きく力強そうな鷲鼻が、彼の印象を猛々しくしていた。
 彼も人がいて驚いているのか、目を見開き、こちらを凝視していた。

 何か言わなければと思うのに、漂ってくる威圧感に気圧され、いずみは固まったまま青年を見続ける。
 
 と、青年はバツが悪そうに顔をしかめ、頭を掻いた。

「悪いな、急に入って来て。別に取って食べる気はないから、そんなに怯えないでくれ」

 返事をしようとしたが口は開こうとせず、いずみは大きく頷いてみせる。
 青年は薄っすらと苦笑を浮かべてから、扉を閉めてこちらへ歩いて来た。

「見ない顔だが、お前は何者だ? 一体何をしている?」

「は、はい、私は薬師トトの孫娘エレーナ……祖父の手伝いで、こちらに生えている薬草の手入れをしております」

 やっと出した声は裏返っており、いずみの顔が恥ずかしさで熱くなる。
 青年は「ほう」と声を漏らすと、まじまじとこちらを見つめてきた。

「トトの孫娘か、初耳だな。つい最近ここへ来たばかりか?」

 いずみが「そうです」と答えると、心なしか青年の顔に悪戯めいた笑みが浮かんだ。

「その様子からすると、俺が誰か分からないようだな」

「はい……あの、失礼ですがお名前を教えて頂けませんか?」

「俺の名はイヴァン……顔は分からずとも、名前ぐらいは知っているだろ?」

 イヴァン。確かに聞き覚えのある名前だ。
 けれど、それ以上は思い出せず、いずみはつい小首を傾げる。

 唐突にイヴァンは声を上げて笑った。

「ハハ……この国で俺を知らない人間がいるとはな。まあいい、それも一興だ」

 立派な身なりをしているのだから、きっと立場がある人なのだろう。
 そんなことを漠然と考えた後、いずみはハッとなった。

「も、申し訳ありませんイヴァン様。私――」

 慌てて跪こうとしていずみを、イヴァンは首を横に振って静止した。

「堅苦しいのは苦手なんだ、そんなに畏まらないでくれ」

 否定しないところを見ると、立場があるのは間違いないようだ。しかし、それを誇示しない人柄に、いずみは強ばっていた肩から力が抜けた。

「分かりました、イヴァン様。ありがとうございます」

 トトやイヴァンのように優しさを感じられる人に出会えると、心から嬉しく思える。
 自然と顔の力みが取れて、いつの間にかいずみは微笑んでいた。